Vol.57 掲載 1984.12
空港反対の石垣島で
 戸塚 廉 掛川市家代
白保海岸での二頭の獅子舞
ピースボート’84(第2回)
1984.09.02-09.17
「過去の戦争を見つめ未来の平和を創る船旅」
九月六日、朝八時、沖縄県の南端の石垣島につく。ここにはにっぽん丸のような大きな船は接岸できない。百メートルくらい沖の海で小さい汽船に移って、三回くらいに分けて上陸した。バスに分乗して、サトウキビのとり入れに忙しい村を走り、白保海岸につく。砂浜には石垣市の平和団体の人たちがテントを張って迎えてくれた。

この海岸は、一キロほど先まで、サンゴ虫の作ったサンゴ礁になっていて、貝でも魚でも手づかみでとれるので、漁民にとって宝の倉であり、食の綱である。こんな広大なサンゴ礁は他には見られない天然記念物でもあり、景色の美しさもすばらしい。

政府はこのサンゴ礁を埋め立てて、新しい空港を作ろうとしているが、白保村の人たちを先頭に、石垣島の人たちは強力に反対している。今はタダの空港つくりだと言っているが、出来てしまえば自衛隊の基地にし、アメリカの軍用機の発着も自由にするにきまっている。それに食の綱の漁場をうめられてたまるか--というのである。

ピースボート訪問団と地元平和団体のメッセージの交換、応援カンパの贈呈があったが、この船の三百五十人のカンパが二万数千円で、これまでの最高と聞いて私は驚いた。私は千円入れたからである。青年が多いにしても、三百数十人なら当然十万円以上はあるだろうと思っていたのであった。一人平均が百円に満たないとは驚きであった。

つまらないことへの、お義理の寄付なら百円でもいいが日本の平和と最果ての国での困難な生活をたたかっている農民に、平均百円たらずとは何ということだ。こういう意識で、日本の平和が守れるだろうか。ピースボート(平和の船)にして然り。一般国民の平和への感心度をのぞいて見た感じがして、心のつめたくなる思いであった。

テントの中で、昼食のお弁当。氷水やお茶は農家の人たちが用意してくれたという。テントに来た人たちはほとんどが六十才以上にみえた。ここでは農繁期だから、若い働きざかりの人は来られないのだろう。

砂浜のように見えるのはみなサンゴで、小さい穴が一パイあいている白っぽく軽いものである。たまにきれいな薄紅色のかけらは貝がれである。軽いので小さいサンゴを二十個くらい拾い集める。サンゴといえば母親のかんざしの朱色を思い出すが、写真などで見るような、鹿の角のような形をしたものはカケラも見つからない。

一休みすると、おばあちゃんたちが石垣のおどりをおどってくれる。ピースボート参加の若い女の人たちも一緒になっておどった。しかし、ここの人たちは、本当に楽しんでおどっていたのだろうか。

年には何回となくやって来る観光団体にも頼まれて踊らねばならないだろう。ゾロゾロときれいな服を着て遊びに来る人たちでも、おあいそに基地反対、新空港反対を言うだろう。カンパもおいて行くだろう。しかし、それが本物かニセモノかは、苦しんでいる人たちには確実にかぎわけることが出来よう。

踊りが終わると、土地の若い人たちが二頭の獅子舞をやって見せてくれた。獅子の頭は掛川の紺屋町のものに似て黒く形はあまり変わっていなかった。ホロに当たる部分が白黄色の毛で出来ている豪華なものであった。帰りに市役所と新空港建設事務所に反対陳情をおこなって船に帰った。