Vol.56 掲載 1984.11
若いやつはタイシタモンダ
 戸塚 廉 掛川市家代
太平洋の日の出(にっぽん丸)
ピースボート’84(第2回)
1984.09.02-09.17
「過去の戦争を見つめ未来の平和を創る船旅」
九月二日から十七日まで、横浜港から、船で沖縄南端の石垣島-香港-上海-南京とまわって来た。老夫婦と新婚旅行である。

飛行機では途中の楽しみというものはほとんどないが、一万トンの日本丸(にっぽん丸)という、オーストラリア航路を走っている船を十六日間買い切って、四百人もの平和愛好・戦争反対の若者、壮年・老年の学者、労働運動家、体育家、ジャーナリスト、婦人運動家、子ども運動家、マンガ家などに、二十人ほどの子どもを交えて、太平洋は台湾の南をおし渡り、南シナ海、砲弾のとぶ台湾海峡、東シナ海、揚子江(長江)を上下して、沖縄列島とアマミ大島の間をぬけて東京港に帰るという旅は、海外旅行ブームの今日でもちょっと珍しいので、少しくわしく報告しよう。

まず、これを主催したのが二十才前半の青年なのに感服した。「このごろの若いモンは」といってはいけない。やっぱり若いやつはタイシタモンダ。明治維新の活動家は二十才代だった。

とにかく、一万トンの船を借りて、何千万円でもソンをしたらおれたちが責任をもつという、二十三、四才の若者が七人でき、そのまわりに、一般のお客さんと同額の会費を払うが、十六日間の活動に必要な労力をタダで提供するというスタッフが三十人くらい。

その感覚のみずみずしさ、三百人の若者の活動をもり上げ、年よりにゆたかな愛情をもち、その愛情を、たとえば重い荷物をもってタラップをかけ上がり、階段をいくつも下りて船室まで運んでくれるといった行動で示す。

十六日間十九万八千円という、Bクラスの安い料金に感心していたのに、それよりも十万円高いAクラスの船室が空いているからと、六十才以上の老人は全員Aに入れてくれて、そうしたとも言わない。あまりいい部屋なので気がついたらA船室だった。ロッカー、大きなデスク、シャワーつき、ジュータンの敷かれたすごい部屋。二人で二十万円トクした。

平和を守る趣旨に賛同して、やはり会費を出し、タダで講義をする専門家を講師とする洋上平和大学や文化集会、参加者が名乗りをあげる多彩なミニ講座。私も、出航の時投げるテープを集めていたこどもがあったので、孫の千里君が子どもの時発明した五色の紙テープで作る千里コマを子どもや母親たちに教え、戦争体験者と青年たちとのシンポジウムに出され、教科書問題の討論会では戦前の教科書をどう逆用したかについて話した。

二百十日の出航なので、同行した妻は海の荒れるのを恐れていたが十五泊した船は、ほとんどゆれを感じさせなかった。こんなにゴチソウしてソンをしないかと心配するほどの洋食、和食、中国料理。たまにはムギメシを食べたくなる。

左舷の丸い窓から見える房総半島の灯、太平洋の日の出日の入り、船一つ見えぬ三日間ののち、沖縄南端の石垣島。さらに三日半走って、同じ中国の一部でありながら、百五十年のイギリス統治下の香港の腐敗を見、人民中国と台湾とがにらみ合う金門島と馬祖島の間をすぎ、人民中国の上海と南京での平和不戦の交流は、キナ臭くなった日本の政治とも考え合わせて、興味深いものであった。