Vol.32掲載 1982.11
桜木音頭
 戸塚 廉 掛川市家代
私たちの部落には“合わせ太鼓”というきれいなおはやしがあるが、若い人たちは、他に娯楽が多いので、お祭り近くになっても習おうとしなくなった。私たちおはやし保存会は考えて、このおはやしを伴奏にして音頭を作ることにした。メロディとおどりはカチューシャ楽団に頼んだ。歌作りは、俳名高い故山崎胡塔君と私、太鼓は名人の堀内忠一さん、フエは堀内勤君、小太鼓・カネ・三味線はおやじさんたちの中に何人もやりてがある。

カチューシャへの謝礼のカネは、お茶で売り出している桜木農協のお茶の歌を作って五千円もらい、榛村村長に五千円カンパしてもらった。桜木村の各部落の歴史や伝説、産業、行事を歌いこんで作ると、おもしろいほどたくさんできた。
<胡>山崎胡塔作 <連>戸塚廉作

                お茶の歌

♪茶山茶どころ南の風にソレヤレヤレヤイ、セミも歌うかユーソレ茶つみ歌。ソーズラエー、ソーズラヤー、ソーサエ、ソーサエ、ソーダランジャー。<胡>

♪さつき五月にゃ桜木ィおいで、お茶のかおりと、煙に巻く。<胡>

♪お茶もんだか、茶にもまれたか、目くぼ落として、ホイロ上げ。(里謡から)

♪屋台の車は 心棒でまわる うちのしんしょは 茶でまわる。<連>


          各部落の歌(太字は地名や家名など)

長谷 いしこの田毎の月を キツネ見ているいちみ坂 <連>

♪キジが鳴いている ガチョウがわめく 山はみどりの遊家の里(キジの養殖場) <連>

♪穴を掘れば 本郷が見える 葦に釣人兎沢(池の名前)<連>

♪竹を刈ましょ(竹刈)三十川切りに 田植近づく苗の色(川切りは池水を田んぼに通すために川をふさぐ柳などを切る作業)<連>

♪登りや城跡下れば宇洞 うちの数より牛の数(酪農のさかんな宇洞部落)<連>

蟹沢(がんざ)一本松夕陽がはえる明日も晴れだぜ西の山西の谷)<連>

少寧精舎学校山に郷土(ごうど)開いた露はらい。<胡>(少寧精舎は明治時代の塾)

♪米の代わりにゃワラビがござる 医者の代わりにゃお湯が出る。(里謡に“知連中山お医者はないか、お医者どころか米もない”とある)<連>

♪雨が降ります桜がぬれる(雨桜神社)木立せせらぎ上の宮 <連>

♪玉露柿栗 樹海の深さ しんしょもつなら上垂木 <連>

♪里に帰るにゃお神輿さえも 心はずむか身も軽い。(下の宮から上の宮に嫁入りした神様の里帰りのお下り祭りにはミコシが軽いという。)<連>

♪馬場へ行きましょ祇園に行くか、晴れ着こえゆく安音寺(坂の名)<連>

♪馬がとんでる祇園の馬場で騎手はあの人陣羽織 <連>

彦八様のお獅楽をごろじ 麦のおこわにキシャッパ汁(お下り祭りの神事から)<連>

田中菜の花 今咲きそめて 峯の薬師は彼岸祭

♪牛がないてる 茶漬にするか 飛鳥茶畑塚(古墳)に風 <連>

♪角力(すもう)とるなら十二所様(神社)へ村の横綱土俵入り。<胡>

小笠神社祇園の馬場は ほかに木(気)はない松(待つ)ばかり。<連>

♪クリを拾やァ権兵衛さが怒る 上で見ている駐在所(小学時代の思い出 駐在所はニヤニヤ)<連>

♪お椀借りたや池神様に(椀貸池富部住宅新世帯 <連>

※桜木村は雨桜村と垂木村が合併してできた。私は雨桜の方で育ったため、雨桜の歌はいくらでもできるが、垂木の方はさっぱりできません。申しわけありません。