レポーター:薙内茉莉
 予告編
Vol.17 1981.8
この継ぎはぎ日記は、私が昨年(1980年)夏、およそ1ヶ月のヨーロッパ旅行をした際に気づいたこと、感じたことをまとめたものです。主に、滞在の長かったイギリスのことを中心にしてみました。

近頃では、海外の日常生活について書かれたエッセイや紀行文もたくさんでていますから、さして目新しい事柄は入っていないかもしれません。それに、たかだか一月ではヨーロッパの長い歴史や伝統を掘り下げる余裕はもちろんのこと、日常生活にしても充分な観察をするだけの余裕もあったとは言えません。加えて私自身の不勉強も大いにたたりました。最初、書こうと思っていた項目は60数個。それが書いている内に次々生ずる多くの疑問の中で、半分以下の量に減ってしまったのも、そのためでした。

文章自体も、我ながら腹立たしいといったらよいでしょうか。恥ずかしいと言ったらよいでしょうか。何とも稚拙きわまりないもので、私が実際に感じたことのうちほんの一握りほどの部分しか表現されていないような気がします。本当のところは他人様にお見せできるような代物ではありません。

なのに、何故こんな物を書いたのか。それは一言で言えば忘れたくなかったということになるかと思います。長年憧れ続けてきたイギリスの地を、ヨーロッパの地を自分の足で踏み、自分の目で見たことの感動。単純なことですけど子どもの頃からずっと心の奥にいだいてきたヨーロッパへの想いが初めて現実と接点を持った時の感動。そういうものを忘れたくないと思ったからです。足りないところだらけの読みづらい文ですが、こんなこともあるのか、と楽しんでいただければ幸いです。
 その1 今日は、この列車は来ない。
Vol.18 1981.9
日本は世界有数の鉄道国なのだそうで、春闘の時以外はまず、地震や事故でもない限りは列車は運休になりません。それどころか、分きざみのダイヤがほぼ正確に運行され、5分、10分でも遅れたら、私達は少々いら立ったりすることになります。国民性もあるのでしょうけれど、それ以上に、これは、私たちが列車の正確な運行に慣らされているためでしょう。

ヨーロッパや中近東、中南米では、列車の遅れなど日常茶飯事。所によっては2時間ぐらい待っても当たり前という話をきいたことがあります。ただ私は、ヨーロッパでもイギリスではこういったことは起こらないのではないかと漠然と考えていました。イギリス人は何がしかPunctual(パンクチュアル=時間厳守)なイメージを持っていたからです。

ところが、これはとんでもない思い違いで、ことイギリスの鉄道に関しては全くPunctualでないことがわかりました。滞在2週間目の火曜日。前日、時間が足りず見られなかった絵を見ようとロンドンのテイト美術館に行くため、グリーンヒザを10:00a.m.に出る列車に乗ろうとしたのです。この列車は前日も利用したもので、ロンドンの真中、チェアリングクロス駅まで行くのです。

“One return for Charing Cross.”(チェアリングクロス駅までの往復切符)2ポンドを出しながら切符売り場の老婦人にそう告げたところ、切符は確かに出てきましたが、それと共に「10:07分発に乗るんなら、今日はこの列車は来ないわ。ロンドンに行くなら次の列車で、グレイヴズエンドまで言ってちょうだい。」という言葉が出て来たのです。

突然のことで怪訝そうな顔をしていたのでしょう。彼女は眼鏡の奥の丸い目をもっとまんまるにさせて、「今日は10:07分発は来ないのよ。次のロンドン行きは、グレイヴズエンドから出てこの駅には止まらないの。」と繰り返します。グレイヴズエンドというのは、グリーンヒザからロンドンと反対方向に3駅ほど行った街の名前です。なるほど、プラットフォームをのぞいてみると客は皆、グレイヴズエンド方面行きの方に立っています。

外国人だから説明しても無駄だとおもっているのか運休の理由については一言の説明もありません。事故でもあったのかしらと思いつつ何だか釈然とせぬままに、やってきたグレイヴズエンド行きの列車に乗り、標示を頼りに乗換をしました。ところがなんと乗り換えた列車は、ちゃんとグリーンハイス駅にも停車するのです。一体これはどうなっているのだろうと、狐につままれたような気分です。やはり事故でもあってごたついているのかもしれません。でも、まあいいや、要はロンドンに着けばよいのだからと、その場はあまり気にもとめませんでした。
問題はその日の帰りのことです。ロンドンから出る列車でグリーンヒザ駅に停車するのはあまり多くはありません・1時間、ひどければ2時間に1本位しかないのです。電車で50分という距離にしては少ない本線です。路線も駅名もよく知らない私は、これなら大丈夫と、やはり前日と同じ帰りの列車に乗りました。
ハイド・パークの直ぐ北にあるパディトン駅
テイト美術館で見たターナーの美しい絵など思い出して、心地よい疲れにぼんやりしていると。突然、向かい側にすわっていた男の人が“All Change”と言ったかと思うと、ドアを開けて飛び出していきます。はて、グリーンヒザ駅はまだのはずだし、この列車は乗り換えの必要のないはずだけれどと思いつつ、ドアから顔を覗かせてみると、なるほど、“All Change!”のアナウンスに、皆、ゾロゾロ降りています。駅はダートフォード。グリーンヒザ駅の2つ手前です。何だかわけのわからぬまま、アナウンスにせかされて飛び降りると、空の列車は走り去ってしまいました。

ホームに立っていると乗り換えアナウンスの声が響いています。マイクが悪いんだか、ボリュームを上げすぎているんだか、どちらにしても声が割れてしまって、さっぱりききとれません。仕方がないので、駅員さんをつかまえて尋ねると、20分ほどでグレイブズエンド行が来るといいます。今日は1日ダイヤが乱れているのかしら。それにしても誰も何もいいません。同じ列車でロンドンから来た人達も三々五々、ベンチにすわっておとなしく待っています。

乗り換えを無事終了して家にに帰りつくと私は早速、お婆チャンに聞いてみました。今日は、一体何があったのだろうと。答えを聞いてびっくりです。何もないのです。何もなくて、ただ来ないのだそうです。わけもなく電車が来ないだなんて信じられますか?イギリスじゃ、当たり前のことなのだそうです。ストでも事故でもないのに、ただ来ないというのが。イギリス人である当のお婆チャンでさえ、電車の乗り方がわからないというほどです。

いやはや、驚きました。日本でも同じ事が起こったら、間違いなく新聞で、テレビで大騒ぎです。それがここでは、よくあることさ、で、おしまいになってしまうのです。どうやら私達が正確な列車に慣れているのと同様に、彼らは正常に動かないことに慣れているようです。

実際に列車のcancel(キャンセル)に出くわしたのも、この時ばかりではありません。やはりロンドンからの帰り、心もとなく、ロンドンブリッヂの駅で一人走り回って帰りの列車を捜したことがありましたが、何度も時刻表の掲示板に足を運んだのは私一人。他の乗客は、心得たもので改札口の黒板の表示“We are very sorry,but these trains are cancelled ○:××,△:××…,”(次の電車は運休しました。○:××,△:××…。)を見ても平気な顔をしているのです。慣れとはすごいものだなあと思いました。日本人もこういう環境におかれたら、やはり同じような反応をするようになるのでしょう。

後で判明したことですが、イギリスの国鉄British Railwayは、猛烈な赤字なのだそうで、列車の運休も赤字のための要員の不足から起こっているのだということです。所によっては路線が廃止になったり、間引き運転にしたりとか、ずい分苦心しているようです。利用客のあの平然とした反応の仕方も慣れというより諦めと呼んだ方がよいのかもしれません。日本の国鉄も赤字だそうですが、British Railwayのようにはなってほしくないものです。
 その2 自動販売機
Vol.19 1981.10
鉄道の話が出たついでに自動販売機の話をしたいと思います。何故って、日本の鉄道では、近頃は、遠距離切符や特急券を除いては、ほとんどの切符は自動販売機で売られていますでしょう。イギリスではそうではないのです。総ての駅を見てきたわけではありませんから、ない、とは言いきれませんが、大都市ロンドンのいくつかの中心駅にもないものが、他のローカル駅にあるとは思えません。

ロンドンのどまんなか、チェアリング・クロス駅、バディトン駅、ヴィクリリア駅、ユーストン駅、ロンドンブリッヂ駅、どこの切符売り場も、厚い窓ガラスのついた昔ながらの切符売り場です。鉄道の利用率が低いせいなのか、失業対策なのか知りませんけれど、ともかくイギリスにいた間、地下鉄の駅を除いては切符の自動販売機という物にお目にかからなかった事は確かです。

切符に限りません。考えてみるとだいたいがヨーロッパには自動販売機という物自体が少ないのです。日本のようにどこに行ってもそこかしこにやれジュース、やれ煙草と自動販売機が立っている光景は、まず見られません。というと、さぞかし不便なことであろうと思われるかもしれませんが、旅行中販売機がなくて不便したという記憶は全くありません。それどころかあの手の便利さというのは、ヨーロッパには似合わない気さえしてしまうのです。

イギリス人など、たとえ煙草屋の前に販売機がおかれていようとも、店の方にはいって“It's loveiy day,isn't it?”などとやりそうな気がするのです。合理的な思考はしても、機械的な便利さというものは、何となくイギリス人には似つかわしくありません。

さて、では少ない販売機の中にどんなものがあるのか。また日本と異なって何がないのか、主なものをあげてみましょう。まず、今、上で述べた煙草の販売機。これは、確かにあるのです。ありはしますが場所がだいたい決まっています。どんなところにあるのかとい言いますのに、だいたいがパブの片隅なんかの薄暗がりに、ひっそりと目立たぬ形で立っているのです。

これのおもしろい点はおつりの出方にあります。以前(すでに6年も前になりますが)オーストラリアに行った際にも驚いたのですけれど、つり銭のコインが日本の販売機のようにつり銭口には落ちてこないのです。では、いかなる出方をするのか?煙草の箱にセロテープでコインがはりつけてあったのです。さすがに、今回のイギリスでは、セロテープは使ってありませんでしたが、大差のないことに箱をくるんである透明なセロファン紙の中にコインがはいっているのです。おまけにコインを入れる順序が決まっていて、その順序に入れないと、出てこないというのもあるのです。最初に10ペンス、次に50ペンスといった具合にです。要するに日本の販売機に比べて性能が今ひとつといったところなのかもしれません。多分、大してその開発にも熱がはいっていないのではないかという気がします。

次にジュース・コーラなどの清涼飲料水。日本では今やこれを見かけない所はないくらいの普及のしかたですが、不思議、不思議なことに、ないのですよ、これが。一つもない。と言って間違いないと思います。因みに、ローマで我々一行の案内をしてくれた、イタリア暮らし何年という日本人というガイドが、「皆さん、ヨーロッパでは、イギリスでもパリでもジュースの販売機はご覧にならなかったでしょう。」と言っていましたから、まず間違いありません。ぼんやりしていて、理由の方は、全部はきかなかったのですけれど、前後の話から察するところ、街の美観を損なうという理由のようです。

なるほど、街並を大切にするヨーロッパらしい考え方です。単に美観を損なうという理由から電柱を立てず、電線は地下を通すということまでしてしまうところです。街路に、出っ張る販売機を置かないのも当然のことでしょう。東京だって狭い歩道に出っ張る、色とりどりの販売機を排除してしまったら、もっとすっきりとするかもしれません。

次は、日本ではあまり見かけない物を2つ。その1つは、切手の自動販売機です。これは郵便局の外側の壁におとなしくへばりついていて、色も壁とあまり変わらず、よく見ていないと、見落としてしまいそうなのですが、よくよく見ると、5penceなんて書いた硬貨の投入口があります。もちろんこれもお釣りが出ないといった具合ですから、持ち合わせがないと使うことはできませんけれど…。

もう1つの方は、これがおもしろいことに、チョコレートの販売機なのです。(フランスでは小さなひと口大のヌガーや砂糖菓子でした)これが地下鉄・国鉄のどこの駅のホームにも置いてあるのです。ロンドンブリッヂの駅では、トイレの入口にとりつけてあって、一瞬、私は、これはてっきりティッシュペーパーの販売機だと思っていました。それにしてはNestleなんて、ペーパーの名はきいたことがありません。ネッスルといったらコーヒーの名前じゃありませんか。よく見たらチョコレートの販売機だったというわけです。それにしても、そんなにチョコレートって必要なものなのかしら?

こうして、自動販売機などという実に当たり前と考えられているものでも、その使い方となると国によってずい分変わるものなのだなあ。いや極日常的と考えていたものだけに、かえって違いがでるものなのかな、などと、何だか妙に感心したりしたのでした。
グリーンヒザの街並 ハイドパーク公園の北端にあるマーブルアーチ
 その3 English tea のおいしい理由
Vol.20 1981.11
イギリスといえば紅茶。紅茶といえばイギリス。紅茶とイギリスは切っても切れぬ縁の間柄です。なるほど、朝起きて紅茶。食事をする時もその後も紅茶。何かしたら紅茶。ただ座っていても紅茶。お客が来たから紅茶。お昼に紅茶。午後のTeatimeはもちろん紅茶。夕食も紅茶。夜のひと時も紅茶。と、まあ、要するに朝から晩まで紅茶だらけに紅茶を飲むのです。イギリスでいう紅茶はもちろんのこと、日本流に言えばミルクティです。

近頃では、日本でもこのミルクティのいれ方が雑誌にのるようになったりしてきました。ミルクティのいれ方なんて、要するに紅茶にミルク入れりゃいいんでしょなどと言ってはいけません。かの有名なジョージ・オーウェルという作家までがその本の中で、ミルクティの正式のいれ方を問題にしているという位、これは大へんなことなのですから。

イギリス風のミルクティというのは、日本のように、うすい紅茶にコーヒー用のミルクをポトポトおとすというのとは全く違うものなのです。簡単に言ってしまえば、濃くいれた熱い紅茶と、冷たい牛乳がまぜ合わさったものです。

私は、元来が紅茶好きですから、イギリスに行く前から本を読みあさっては、イギリス紅茶のいれ方を研究していたのですが、渡英経験のある友人に言わせれば、日本で人気のトワイニングズなんていう高級品は、イギリスの一般家庭では使わないし、何といっても牛乳自体の濃さが全く違うから、日本ではあの味はでない、ということでした。

では一体、どんな味がするのか?期待に胸をふくらませて、紅茶のカップにとびついた結果…果たして、果たして友人の言っていたとおりです。粉のような細い葉から出るきつい味が、濃い牛乳のトロリとしたような柔らかさにまざりあって何ともいえぬ味がします。私の滞在した家では、ninty-nineつまり99という妙な名前の紅茶を使っていました。
スコットランドの首都エディンバラ。メルビルストリートから見る聖マリア大聖堂。
この他に typhoon なんていうすざまじい名の葉もよく使われているようです。日本で言ったら普段に飲む番茶に当たるものでしょう。もちろん、缶入りなんかではなく、化粧水の箱くらいの大きさの箱入りで130円ぐらいなものです。労働者階級の家庭では、皆、こんなお茶を使っているようでした。でも、断固、これはおいしいのです。絶対においしい。

もちろん、いれ方の方にもこつがあります。牛乳は冷たいまま使わなくてはなりませんから。ともかくヤカンのふたがとびそうな位に沸騰した湯を使うことです。皆、これには実に細かく神経をつかうらしく、決してヤカンをポットのところまで持っていったりはしません。ポットをヤカンのところにもっていって沸騰した湯をその場でパッとポットに注ぐのです。

牛乳の方は、よく、先にカップに入れておくか、紅茶をいれた後に注ぎこむのかと問題にされますが、これはどうやら家庭によってまちまちのようで階級によって違うのだという説はあたっていないようでした。でも、何といっても友人の言葉でtだしかったのは牛乳の濃さでした。牛乳だけ飲むとアイスクリームの甘味抜きみたいな味がする程、濃いのです。そして残念なことに、やはりあの牛乳なくしては English tea の味はでないのです。

懸念しつつ、それでもあの味が忘れられず、はるばる運んできた typhoon も、日本の牛乳の前には、あの魅力的な味の半分もしてはくれませんでした。大切に大切に缶につめかえた typhoon の細い葉に鼻をつっこんでは、ため息をついてしまうのです。

Bring freshwater to the boil and pour it on immediately.(新鮮な水を沸騰させ直ぐに注ぎます。)

 その4 テムズ川も最後は海にそそぐ
Vol.21 1981.12
この題名を見て、当たり前じゃないか。なんてまあ莫迦なことを言っているのだと思う人が多いでしょう。どの川だって最後は海にそそぐというのは当然のことです。けれどテムズと言った時、その河口を想像したり、河岸についた海藻を思いついたりする人はほとんどいないと思います。国会議事堂のビッグ・ベンの時計台を背景にしたりタワーブリッジの下を、とうとうと流れる川を思い浮かべるのではないでしょうか。少なくとも私自身のテムズに対するイメージというのはイギリスに行ってみるまで、そういうものでしかありませんでした。

だから、グリーンヒザのホストの家の裏窓から見える非常に大きな川を見ても私には、それがテムズだとはすぐに考えられなかったのです。そこには工業用の資材や石油を積んでいるらしい船が何隻か浮かび、向こう岸には石油の貯蔵用とおぼしき銀色のタンクがいくつも並んでいます。水の色も汚い茶褐色で一見したところ、どこかの海に面した小さな港のようです。お恥ずかしいことに実際、私は最初の二、三日間というものが、これがテムズだとは知りませんでした。

やっとわかったのは、河沿いの公園にホストのお孫さんで9才になるティナと一緒に行った時でした。河岸の大きな石の上には、潮の満ち干きで打ちあげられた海藻がへばりついているし、ほのかな潮の香りが鼻をくすぐっています。てっきり、これは入江だと思った私にティナが“This.   river. is .the. Thames.”と単語をひとつずつ区切りながら、目をまんまるにさせて、一生懸命教えてくれます。

最初はびっくりしました。思わず“The Thames?”とききかえした私に、ティナは、私がテムズ川を知らないと思ったのでしょう。早速、テムズ川とはロンドンの街の中を流れる大きな川でと説明をし始めました。いやいや、テムズは知っているけど、これがテムズ川?海のにおいのするテムズなんて、そこまで考えてハタとひざを打ったのです。莫迦ですね、どんな川だって大海に注いでいて、そして、このグリーンヒザは全イングランドから見たら、もう相当、ドーヴァー寄りにあるのですから、テムズといったって河口に近いのは当たり前のことだったのです。要するにあまりにパターン化されたテムズ川のイメージを私が持っていたというのに過ぎないのです。

ホストのお婆チャンの亡くなられ御主人は、worked on the water だったそうです。お婆チャンの双児の娘さんの御主人達もそれぞれ、worked on the water です。“ worked on the water ”「水上で働く」というのは、ここではテムズ川のタグボートの運転をしたり、荷揚げの仕事をしたり、何かしらテムズ川に関係した仕事をすることを意味します。グリーンヒザで the waterといえば、これはテムズのことなのです。それ位ここではテムズが生活の貴重な一部になっています。大きな川があればそれを利用した何らかの産業が成り立つことは、どこの国でも同じことです。けれど、テムズを単に観光の一場面としてとらえていた私にはこの“ worked on the water ”という表現は、新しい小さな驚きでした。

そして、今、公園近くの古い木製のさん橋や油の虹色の浮かんだ水面を思い出す時、そこには絵ハガキにはない、別の重みと親しみをもったテムズが見えるのです。
シティ・オブ・ロンドン方面からテムズ川に架かるロンドン橋を渡るとサザーク大聖堂方面に行きます。
 その5 実践「赤信号、皆でわたれば怖くない」
Vol.22 1982.1
一時、「赤信号、皆でわたれば怖くない」というのが漫才でヒットしたことがあります。一人だろうが皆だろうが赤信号でわたれば怖いに決まっているわけで、へたしたら、ひき殺されてしまいますから、そのナンセンスがうけたわけで本当に実践してみる人は多分いないと思います。少なくとも交通量の多い日本では。

というのは、実はヨーロッパで私達はこれを実践してきたのです。あまり自慢になる話しではないのだけれど、誠によく信号無視をしてまいりました。もちろん、怖いのは、怖かったわけですが、これがまあ、郷に入れば郷に従えと申しますか、あまり向こうの人達が平気で無視するものですから、そこは、ただでもせっかちな日本人のこと、私達もすぐにまねるようになってしまったのです。

最初のうちは、我々も車が来なくとも赤信号に従って行儀よく待っていたのですが見ていると、現地の人達は、赤信号だろうが、少し位向こうの方に車が見えていようが、わたれるかなと思ったら、サッサと渡ってしまうのです。信号の数自体が日本のようには多くないらしく歩行者専用の信号なんて、本当に少ないところですから、皆わたり方がうまいというか慣れているというかチョロチョロとうまくわたってしまいます。

かなり交通量の多いところでも車に向かってちょっと手をあげたりしてわたっています。だいたいが、ロンドンのど真ん中、トラファルガー広場のすざましい車の渦の中で走っているバスのステップから道の真ん中にポンととびおりたと思うや、ササッと車をよけてパッと歩道に立つという離れ技をやってのける人種です。信号無視して通りをわたる位、お茶の子なのでしょうか。

しかし、初めてこの信号無視に出会った時には、ちょっと不思議な気がしました。何かの順番を待つ時には、本当に行儀よくいくら列が長くなろうともじっと並んで待っているイギリス人が、こと通りをわたることに何故こうもせっかちなのだろうと。

実はこれもヨーロッパ個人主義の現れの一つだったのです。自分のことには自分で責任を持つ。これなら、わたれるという自信があれば、自分の生命には自分で責任をもつからわたってもよいという考え方なのです。長蛇の列に並ぶというのも、言い方をかえれば、自分の順番は自分で確保するということなのです。

これはイギリスに限りません。フランスでもイタリアでも同じことでした。どちらかといえばイギリスよりすごかったかもしれません。車がそれこそビュンビュンと音をたてて走っているような所でもわたれると判断したら、断固、わたってしまうのです。もっとも、対する車の方の反応は、この三国それぞれ違ったというのは国民性の違いなのでしょうか。

イギリスでは、人がわたり始めると、たいがい皆徐行してくれます。フランスは徐行なし。それまで走っていたのと同じスピードのまま、ただよけるだけです。イタリアは、手をあげてわたりたいという意志表示をすれば徐行するか止まるかしてくれます。特に横断する人が女性であれば、Smileのおまけつきです。

日本では?まあ、日本でやったら怒鳴られるぐらいならまだしも、命がないかもしれません。旅行中、信号を無視する度、「日本に帰ったら気をつけようね。」と言いあったことでした。
 その6 One of the members of English Family
Vol.23 1982.2
RSPCA。これは、かの有名なる「英国動物虐待防止協会(The Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals)」の略称です。時々、どこそこの国では、動物を虐待しているではないか、なんていうクレームをつけたりする世界的に有名なイギリスの協会です。何故、イギリスでそんなに動物愛護の協会が発達しているかといえば、当然これは、イギリス人が動物好きだから、ということになりましょう。

どこの国にも動物好きはいますし、ペットを飼っている人だって別にイギリスでなくともいっぱいいるわけですが、私の見たところペットを飼っている人の数というのは、少なくとも日本よりは、断然多いのです。まず、ほとんどといっていい程、どこの家にも動物が同居しています。

普通の庭付きの家であれば、犬や猫、アパート住まいであれば小鳥や金魚と、皆、動物がいることが当たり前という風です。もちろん、こういった状況の背景には、住宅事情や、その形態が、日本とは異なっているという理由がありそうです。

というのは、多くがセミ・ディタッチド・ハウス(semi-detached house)といって、二軒長屋のような形式の家なのです。そして、この家にはどんなに小さくとも必ず庭がついていて、皆門の中では犬を放し飼いにしているのです。外出するとき、つまり門の外に出す時には首輪とひもをつけられますが、それ以外の時には庭やら家の中やらをウロチョロ好きなように動き回れるわけで、そのせいなのか、どこの犬も何となくのんびり、おっとりとしていて人間に慣れているのです。

鎖をひきちぎらんばかりの勢いで吠えたてるという光景はあまり見られませんし、たまたま鎖をつけていない犬に道で出会っても飛びついてきたりすることはまずありません。よく外国のテレビドラマで家族と一緒に居間でねそべっている犬や車に乗っている犬を見ますけれど、なる程実際にあんな具合です。

夜、眠る場所にしたって台所の片すみに犬専用の毛布がおいてあったり箱があったりで家の中におくことが多いようです。日本の住宅のように靴をぬいであがるわけではありませんから、自分達が道路を歩いてきた足のまま入るのも同じこと。そんなわけで違和感がないのかもしれません。家の中で正に家族の一員という顔をしているのには、そういったことも関係しているのではないかと思います。

最後に一つ、おもしろい小話を御紹介しておきましょう。イギリス人の動物好きを見て、フランス人が作ったという話しです。その動物好きの程度がいかなるものかおわかりになると思います。

その男は毎晩そのパブに愛犬を連れてやってきて、二杯のビールを注文し、一杯を自分が飲み、もう一杯を愛犬に飲ませるのが習慣だった。ある晩、どういうわけかその犬だけがひとりでやってきた。いつもと同じ時刻だし、パブのオヤジはもうすっかりなじみだから、犬に一杯のビールをサービスした。犬君はいつものようにおいしそうにそれを飲んで、いつものように帰っていった。あくる日、その男がいつものように犬をつれてやってきて言った。

「いやァ、うちのヤツがすっかりお世話になってしまって。実はきのうはよんどころのない用事で私は来られなかったもので。きのうのビール代をともかくお払いして、と…いや、まったくうちのヤツときたら毎晩ビールを飲まないと眠れないんでねえ。…ほんとうにお世話さま。ま、お礼にというのもなんですが、ほんのおしるしに、きょうはプレゼントを持って来ましたから受け取ってください。」

そういって、手にしたカゴの中から一匹の大きな見事なロブスターの生きているのを取り出し、パブのオヤジに手渡した。パブのオヤジは大喜びで、
「うわぁ、これはすごい。帰ったら早速、夕飯にしよう。」
「いや、いやいや、夕飯はいいんです。」
「え?というと」
「いや、つまり、夕飯はもうすませたんですよ、彼は。だから今晩はもう何も食べさせないでベッドに入れて寝かしつけてくれさえすればいいんです。」
バッキンガム宮殿前
メイドストーンの蚤の市
 その7 名なしバス停の混惑
Vol.24 1982.3
バス停には、標識があっていくらちいさくともどこかに停留所の名が記されています。バスの車内では、次のバス停の名を告げるアナウンスがあります。これ、日本のバスの常識。全国津々浦々、まず、ほとんどどこの路線でも変わりないでしょう。ところが驚くなかれ、これはあくまでも日本の常識なのです。

つまり、イギリスのバス停には標識はあるものの停留所の名前というのが、どこにも書いていないのです。ブリキ板にバスのマークのついた標識の下に時刻表がはってあるだけ。いくらさがし回っても名前は見つからないし、車内のアナウンスもありません。そのくせ切符は乗車時に運転席のところで行き先を告げて買わねばなりませんから、降りるバス停の名を知っていなければならないのです。これは私のような外国人にとっては、大へんなことです。

日本とは、あまりに勝手が違うので、ホスト宅で日本のバスのことを話したところが“It's very kind.”(それはとても親切ですね。)とのこと。どうやら、外国人でなくとも不便を感ずることがあるようです。

私が、イギリスの路線バスに乗ったのは、Gravesend(グレーブセンド:ケント北西にある古代の町)の街にホストと共に買い物に行った時でした。この時はイギリスに着いて4日目。見る物、聴く物、何もかも珍しくて、回りを見るのに精一杯。バスの乗ってもただ言われるままにお金を払っただけでした。

気づいた事と言えば、レジスターのレシートのような切符を運転手が販売すること、往復の切符があってこの方が割安なこと。車内アナウンスがないこと、ぐらいでした。あとは乗っている人達を観察したり、話したりしていて、肝心のバスの乗り方は、ホストが一緒だという安心感から、さしたる注意を払っていなかったのです。

バス停に名前の表示がないことに気づいたのは、次にDartford(ダートフォード:ロンドンから29km東にある主要な町)に行った時でした。この時はホストと一緒でしたが帰りは一人。切符は Return つまり往復で買ってありましたから心配なかったのですが、何せ一人で初めて乗るのですから、バス停で待っている時間も何だか落ち着きません。時刻表を見たり路線番号を確かめたりと、上下左右、書いてある物は皆といっていい位、一生懸命に読んでおりました。

そして、ハタと気づいたのです。名前がない!名札がない!最初は、名札がとれてしまっているのかと思いました。しかし、いざバスに乗って降りる所を間違えぬようにと二階の真ん前の一番見通しのよい席に陣どって過ぎゆくバス停ごとに、ジロリと目をすえるようにして見ていたのですが、どのバス停にも名前の表示は見当たらないのです。車内アナウンスがないだけだって、不便この上ないと思っていたのに、ここに至っては、あっけにとられてしまいました。

気がつかないうちは、それほど不安を感じなかったのですが、こうなってくるとバスに乗るのは一大事です。一人の時はどうやって乗るか?私は子どもの頃の出来事を思い出しました。

小学校の1、2年位の頃、十歳以上も齢の離れた姉二人に連れられてデパートの屋上の遊園地に行ったことがありました。私は小さい汽車に乗りたかったので下の姉に「あれに乗りたい」と言いましたところが、「乗ってくればいいじゃない」という答え。でも、それきりで切符を買ってくれる風にもありません。どのようにしたら乗れるのかと思った私は、「でも、どうやって乗るの?」と尋ねました。姉はしげしげと私の顔を見たかと思うとさも馬鹿にしたようにこう言ったのです。「馬鹿だねえ、おまえは。先に右足のせて、次に左足のせればいいじゃない。」

まあ、イギリスのバスに乗ることについてだって、こういう思考形態をもってすれば、誠に簡単しごくでありますがそんなわけにもゆきません。そこでバスに乗る際には、いちいち全てを確認しておくという方法とることになりました。

つまり、降りるバス停の名前を聞いておく、そのバス停が乗った所からいくつ目にあたるのかも確かめておく。(これを英語で聞くのは何ともめんどうなことでしたが)。そして、乗ったら目を見開いて過ぎゆくバス停の数を数えるというのです。

これは気疲れのすることですが、ぜっかくイギリスまで来て名物二階建てバスに思う存分乗らないなんて心残りになりそうでしたから。私と同じバスに乗り合わせた人々の中には、窓にへばりついて真剣な顔をした東洋人の女の子(向こうじゃ私だって実際の年齢より若く見られるのです。)に気づいた人がいたかもしれません。
 その8 水の話
Vol.25 1982.4
“エビアン”というのを御存知dしょうか?何だか初めて聞くと人の名前みたいに聞こえますがこれはビン詰めのミネラルウォーターのことなのです。もちろん水に対してはwaterという単語があるわけで、これは水のことと言ったって登録商標というやつ。ある会社のミネラルウォーターの名前なのです。

「日本人は、水と安全は只だと思っている。」これは確かイザヤペンダサンの「日本人とユダヤ人」の中の言葉だと思いましたけれど、なる程、我々は、水道料を支払ってはいるものの、水を買って飲んでいるという感覚は、普段持ち合わせていないようです。喫茶店だろうがレストランだろうが必ずといってよい程、只の水が出てきます。これが水代、いくらいくらなんて請求されたら腹を立てない人はいないでしょう。出てくることを当然としているわけです。当然だと思っているからたまに水の出てこないので知られる銀座のさる喫茶店なんかに入ると、妙にいら立たしいというか気抜けした気分になってしまう。ケチルナ!なんてね。

でも、ヨーロッパじゃ、反対に出てこないのが当たり前。特別に頼まない限り水は出てきません。これは、別にけちっているわけではないのです。飲料水というのは只でホイホイ出せない位、貴重なものという考え方があるからなのです。初めて行った所で生水を飲まないというのは旅の鉄則ですが、東南アジアやヨーロッパに行く際には、これが大鉄則となります。

何故なら、東南アジアは熱帯地方が多く、コレラの心配があるため、ヨーロッパは水が悪いからです。水が悪いというのは、つまり、ヨーロッパの水は飲料水に適さぬ硬水多いということです。従って水の大切さに対する人間の考え方も異なれば、飲料水は、買って飲むものということにもなってくるわけです。

と言ったわけで、少々遠回りになってしまいましたが、先程のミネラルウォーターと言っても二種類あるのだそうで、一つはガス入り(要するに炭酸水です。)そして、もう一つのガス抜きの方がこの“エビアン”です。本来は確かに、ある特定の会社のガス抜きウォーターを指していたのがこのエビアン。今ではコークがコーラ全般を指してしまうのと同様、ガス抜きウォーターの代名詞になっているのだそうです。イギリスでは特に注意はうけませんでしたけれど、フランスとイタリアでは水を飲みたい時はエビアンを、という注意を受けました。フランスでは水よりワインの方が安いなどという話を時々耳にしますから、日本にそのまま持って来たら、エビアンはさしづめ、高級水とでもなりますか。

ところで、エビアン、エビアンと書いてきましたけれど、かくいう当の私、実はエビアンを飲んではこなかったのです。ガス入りの方も飲みませんでした。(これは往きのスイス航空機内の食事に小ビンでついてきたのですけれど、一体、何をこれで割るのかしらと悩んでいるうち、食事が終わってしまったのです。飲んだ人の話によりますと「まずい!」そうですが。)

では、水は飲まなかったのか?いやいや、がぶがぶとやってまいりました。敢えて、大鉄則を破って生水を。別にけちったわけではないのです。まずいというから、どの位まずいのか、試してみたかったのです。東南アジアのようにコレラの心配があるわけではないし、ぜっかくここまできて試してみないなんて、と思ったのです。味?そうですねえ。決して、おいしいくはありませんでした。特に、水特有の甘さといったものがなく、単に液体という感じです。水の味から出たという醍醐味という言葉を持つ日本人には、何とも味気ない水です。

話が雑然としてきてしまいましたが、今までに述べたような諸々の理由からでしょうけれど、日本人はよく水を飲むと言われます。ヨーロッパの人から見れば、そう見えるかも知れません。ロンドンで我々が入ったイタリアンレストランでは太った気のよさそうなおばさんが、我々を日本人と知ってでしょう。「水が欲しい?」ときいてくれました。遠慮なくいただきましたが、他のテーブルでは、どこもそんな問いを発している様子もなし、もちろん、水のコップがおかれていたのは、我々のテーブルだけでした。水は人間の生存に不可欠なものです。その大切な水に対する考えがこんなにも異なるなんて。私はもらった水のコップを手にとりつつ、遠いところに来たんだなと、つくづく思ったものでした。
テムズ川に架かるタワー・ブリッジの欄干に腰かける若者たち。 クラブ・リージョン
 その9 運命共同体拍手のくだり(最終回)
Vol.26 1982.5
いよいよ、43日間の旅行を終えて、もうあとは帰るばかり。最後の訪問地ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に向かうバスの中。心境は複雑です。どうにか日程を無事に終了したという安心感は確かに在るのですが、本音は何より帰りたくありません。長年、憧れ続けてきたヨーロッパです。40日やそこらで帰りたくなるわけがありません。美しい街並もこれで見納めかと思うと朝早く起こされて、まだ眠いはずの目も知らずのうちに見開いているのです。

そうしているうちに、バスはすでに空港に到着。(こういう時の時間の過ぎゆく速さよ!)飛行機はアリタリア航空282便。これで、なつかしのヒースロー空港(イギリス)まで行き、乗り換えです。

ヒースローに着いたら、グリーンヒザの人達に最後の電話をしようとか、明日にはもう日本かなんて、ぼんやりと窓の外を眺めていると速いものですね、見えてきました。緑地の中に赤い屋根の家が整然と並ぶイギリスです。「ウワッ、帰ってきたわ。イギリスよ、イギリス。」誰となくそんな声が上がります。43日前、同じ空港から見た時すこし冷たそうに、すましこんで見えたイギリスの景色が今は、暖かく馴じみのあるものに見えます。

高度が下がってきました。赤い屋根がみるみるうちに大きくなります。今ではもう、家の窓やカーテンもはっきりと見えてきました。
ウエストエンドにあるロンドンのエンターテイメントの中心地のコヴェント・ガーデンでの大道芸師。
ウエスト・ミンスター寺院。
そろそろ着陸です。窓に目を据えたまま、身体の位置がぐっと下がりました。鈍い衝撃と共に、着陸!そのとたん、私達の前の座席の方から拍手があがりました。思わず窓から目を離して、私も一緒に拍手。何事かって?理由もわからず手をたたいたわけじゃありません。これは着陸の無事成功に対する拍手なのです。ヨーロッパの空の路線では、しばしば行われることだと、物の本で読んだことがあったのです。

けれど、今までに乗った飛行機では、一度もそんな場面に出くわさず、もうそういった習慣はなくなったしまったのかしらと、残念に思っていましたが、ラッキー、ラッキー。旅の最後でやっとお目にかかれたわけです。アリタリア航空会社ですから乗客も圧倒的にイタリア人が多く、そのためでしょう、拍手があがったのも。何たって陽気なイタリア人のことですもの。

単純なる私は、しばし、日本に帰ることなど忘れて、ひたすら機嫌良く手をたたきました。せっかく来たのですもの。ヨーロッパにいるうちに、ヨーロッパ流儀で飛行機に乗りたいではありませんか。それに、何たってこの習慣が今もちゃんと残っていることを知ってうれしかったのです。だって、一つの飛行機に乗っている人間は、全員で一つの運命共同体を形成しているのです。全員、同じ条件の元に飛行機様に生命をお預けしているのです。

おまけに、人間が空を飛ぶことは、自然の理に反しているわけですから、飛んで当たり前ではなく、落ちて当たり前と、こう思わなくっちゃいけないのではないかと。従って無事に生命がくっついたままの身体で陸地に着いたら、謙虚に感謝合掌で拍手、アア、よかったね、機長さん、ありがとう!とやっても当然なのです。

そこでェですね、(話の調子がずい分と変わりました。私の熱の入れようがおわかりかな?)私は、これを世界中のあらゆる空の路線で行うことを提案いたします。馬鹿みたい?とんでもない。民族や国籍を超えた運命共同体、拍手のくだりには、何やらほのぼのとした味わいがあるのです。

                ……… あとがき ………

朝食の形式にコンチネンタルというのがある。「大陸の」の意味だ。この「大陸」はヨーロッパ大陸を指し、イギリスを除くヨーロッパの国々を意味する。コンチネンタルの朝食などというと、いかにも豪華な響きがするが、中身はコーヒーとパン、それにつけるバターやジャムだけだ。昼食をたくさん食べるから朝は軽く、という事らしい。

パリのホテルでこのコンチネンタル・ブレックファストを食べた。コーヒーとパンだけの朝食を一生続けるだなんて、まあ味気ないと思っていたのに、口にしてみるとコロリと意見が変わってしまった。カフェ・オ・レに焼きたてのフランスパンの香ばしさが何とも言えないのだ。温かいパンを口に放り込むと適度の塩気が舌に柔らかく馴染む。フレンチローストのコーヒーの苦味が、たっぷりのミルクに溶け合ってまろやかな味がする。日頃パンは好きじゃないと公言していた私が、次から次へとパンに手を出してしまった。

コンチネンタルの朝食はパンがおいしくなくてはやりきれまい。味の生きたパンでなくてはあの簡単な食事を毎日続けるのは無理ではないかと思う。フランスのパンは、そういう意味で、塩にぎりと同じようなものだ。塩にぎりは単純なだけに炊きたてのおいしいご飯で作らなくては、どうにもならない。できるだけ手を加えず、最も元に近い形で食べる時、その物自体の味が問題になるのは洋の東西を問わない。要はその物が生きていなくてはならないのだと思う。そう考えると、パリで食べたコンチネンタル・ブレックファストは見かけに反して、贅沢な食事だった。

何にせよフランスのパンは絶対においしい。このヨーロッパ旅行を終えて、今、日本のたっぷりと防腐剤のはいった、三日だか四日だか前の食パンのトーストをかじりながら、私はあの時のパンの味を何とかもう一度と思っているのだが…。(おわり)