寄稿者:小楠康男さん
 プロローグ
Vol.3 1980.6
旅する人

小楠康男さん(30才)

スケジュール(滞在期間)

◆フランス(1ヶ月)
◆スペイン(1ヶ月)
◆モロッコ・アルジェリア・チュニジア(1〜2ヶ月半)
◆イタリア(1ヶ月)
◆ギリシャ(1ヶ月)
◆トルコ(半月)
◆インド(3ヶ月)
◆スリランカ(半月〜1ヶ月)
この度、奥野電気産業(株)を退職し、一生の夢を叶えるべく、自転車で世界を旅することになり、4月18日、成田空港より飛び立ちました。本人いわく、「一生のうちに一年間だけ、自分のやってみたい事をやろうと志をたて、今回ようやくその夢が実現した。」とのこと。

高校正の時に、日本一周まではできなかったけど、自転車で全国を回った経験があり、その時「いつかきっと世界を…。」と思い続けて10数年…。

心配事は?とたずねたら、「お金と病気かな。お金の方は220万円の所持金を持っていくので、特別なことがない限り、なんとかなると思うが、やはり一番の心配事は病気ですね。」という答えが返ってきた。言葉の問題については、「多少英語をマスターしたので、税関等ではなんとかなると思う。あとは身振り手振りで…。」

男のロマンを賭けた若き(?!)ヒーローに拍手を…。
 その1 フランス
Vol.4 1980.7
フランスのお札は穴だらけ

4月26日(9日目)Vernou(パリ北東100キロ)
成田を後にして、夕陽を2回、朝陽を2回見て、22時間語にパリに着く。さっそく両替所でドルを穴だらけのフランに替え(フランスではお札をホッチキスでとめる習慣がある為、99%のお札にプツプツと穴があいている。)、自転車を組み立てホテルに向かう。

途中、コンコルド広場のオベリスクの塔でひと休み。すると知らないおっちゃんが何か言いながら近づいてきてカメラをかまえる。私は来たなと思ったので、手を振ってノンノン。(ここでニコッと笑って立ち止まるとたちどころに「パチッ」とやられて「はい、いくら」となるので気を付けよう。)

パリでもやっパリ物価高

やがて、ホテルに着くと、(日本で紹介、予約のホテル)バス、トイレはあるが、しみ付きベッドがひとつに、机がひとつにカベ絵(中国式の家、山々の右上になぜか大きく富士山が浮かぶ)が一枚。これに朝食込みでなんと1泊192フラン(11,900円)。コーラが1本(360cc)5フラン(310円)で、ホットドッグが1本5フラン。

ためしにスーパーで、キューリの油漬け(やや大きめのものを2cm位の厚さで輪切りにしてある。)を2フラン買ったら5〜6枚くれただけ。思わず笑いがこみ上げた。これではたまらんと、パリは3日で切り上げる。(3日間の所要費用約43,300円)

ああ…メシが食いたい!

今じゃお落としに落として1つ星か無印ホテル。これで1泊30〜40フラン(1,860円〜2,480円)。地方のホテルではトイレは共用だがけっこうよい。食い物は主としてスーパーで調達。牛乳(牛が笑っている絵がついていたので多分そうだと思う)ひと飲みしたらあまりに濃すぎて、のどを通らずゴミ箱行き。魚のカン詰、野菜のカン詰め。魚であって野菜ではあるが、あさっての味がする。どうしてものどを通らず、半分ゴミ箱行き。

しかたがないので主として、果物・パン・生野菜を主食とする。(9日もパンを食べていると小麦のゲップが出てくる。)白いご飯が食べたいな〜。夕方6時(暗くなるのは夜10時頃)銀行でなにかあったらしく、銃(マシンガン)を水平にかまえた警官15〜16人がうようよ。市民に銃を向けちゃあ、あぶないよ!

※注釈※
◆パリ市内ではブロークン英語が通じるが、郊外に出ると一切通じません。(身振り手振り、両手を使いなさい。)
◆お金の交換レート:日本の書物には1フラン=46〜50円となっているが、現実には1フラン=61.30円。はたしてこれでやっていけるかな?心配だな…。
◆★印によってホテルの値段が決まっている。
四つ星★★★★:最上級(バス・トイレ付き)
三つ星★★★ :上級(私が泊まったところ・バス・トイレ付き)
二つ星★★  :中級
一つ星★   :下級
これ以下もある。
 その2 フランス シェルブールの雨
Vol.5 1980.8
5月1日(14日目)今まで4軒のうち1軒位は泊めてくれたのが、今日は海岸沿いの田舎町にくわえ休日の為か、すべてのホテルをことわられた。いつもより2倍は走っただろうか。もう足はクタクタ、やむなく山の中に入り、雨ガッパと自転車を包むバックで寒さをしのぎ横になった。

10時過ぎ、まずいことにどしゃ降りの雨!こうもり傘の下にうずくまり、流れる水の中で夜明けをまつ。翌日も雨やまず。雨の中を町から町へとホテル探し。今日はどこでもすいているはずだが、全身ズブぬれの姿を見たとたん、出てくる言葉は「コンプリート」、またもや野宿。

18軒目、やっと町らしい町、カン(CAEN:北西部に位置する都市)に着き、屋根のある部屋で3日分まとめて寝る。それから2〜3日野宿をかさね27日目にやっと目的地シェルブールに着く。安心したせいか、身体の不調がまとまって熱となり出て来た。

フランス語のメモを見せ、医者をよんでもらう。注射を1本打ってもらって72フラン(約4,500円)。これで2〜3日は動けないかも。
シェルブールのジェネラル・ド・ゴール広場
◆飲料水:スーパーで2L位入ったものが1.5〜2フラン(120円位)と、安いワインと値段が変わらない。食堂ではコップ1杯の水で3フラン(180円位)とられた!

◆フランスの牧草:放牧したある動物たちに食べさせる牧草は、自然に生える草をたべさせるのだはなく、日本の田植えの様に順序よく苗を植えていくんですよ。

◆三車線道路:真ん中の車線は左右の車線のための共通追い越し車線なのです。

◆日本製品:どんな田舎に行っても、バイクはホンダ・ヤマハ・スズキ。カメラはニコン・ヤシカ・リコー・オリンパス。時計はシチズン・セイコー。その他電卓、テレビ、フィルムまでそりゃもうびっくりするほど日本の製品が氾濫している。

◆間抜けなどろぼう:自転車をホテルの前にとめておいたところ、ナイフで荷台のヒモをプッツリ!とられたものは自転車を包むバックのみ。もっと落ち着いて品を選べばいいのにね、ホント。

◆バス:二階だてのバスもあるが、ちょっと大きな都市になると電車のように2台分のバスを接続したものも走っています。
 帰国編 急遽エピローグ
Vol.6 1980.9
非常に残念なことに今月号をもって「自転車漫遊記」が打ち切りになることを最初にお知らせしておきます。旅の途中で本人が病気になってしまい、やむなく帰国という事態になりました。楽しみにしていた人達も多かったのに非常に残念に思います。無理をして大事に至らなかったのが不幸中の幸いでした。これにくじけず、いつの日かまた挑戦して、男のロマンを勝ち取ってもらいたいものです。
最後の手紙より

シェルブールからはスペインをめざし、少しずつ電車で南下する。しかし、LE MANS 手前で再び発熱し、CAEN まで戻る。ここで花がら模様の天井を見ながら帰国を決める。

シートベルトを締めると、やがて飛行機は加速度的に速度を増し、セーヌ川沿いに鋭角的にぐんぐん上昇してゆく。やがて、睡眠不足でボンヤリした頭が眠気を要求し、まぶたを閉じるがなかなか寝つかれない。

「これで夢が終わってしまう。もうじき何もかも終わる。あこがれのインドも見ないのに。」そう思うと年がいもなく涙があふれそうになる。けれど、時間がたつにつれ長い間心の奥にたまっていた何かが、うしろに残っていく轟音と共に少しずつ消えていくのをはっきりと感じた。

会社をすててまでの旅。その失ったものも確かに大きかった。フランスでの旅も決して楽しい旅ではなかった。雨にうたれてずぶぬれになって野宿をし、どろぼうにもあい、病気にもなり後半はずい分辛い思いもした。

でも、これの何もかも含めていつの日か「あの時は…」と心から笑える時がきっとくる事と思う。これから、又続く長い平凡な生活の中で、たった一つの尊い思い出になると思う。78%読者のみなさま、さようなら。