HONDURAS
レポーター:小嶋政男
その1 プロローグ
Vol.21 1981.12
私は名前を小嶋政男と申します。しかしケニア人ではありません。これだけ書いて「当たり前じゃないか」と画面どうり取られた方はこれから始まるこのシリーズにつき合いができない人かも。馬鹿な僕でもこの文がナン・センスであることはわかっております。しかし、ナン・センスというセンスがあることを一つご理解いただいて読んでいただきたいと思います。

では、まず私のコマーシャルから。上述したように名前を小嶋政男といい、国籍は日本、本籍は静岡県掛川市。生まれも育ちも本籍に同じ掛川であります。要するに、今読まれている多くの方々と何の変わりもありません。しかし現在は掛川におりません。タイトルにある「せんとろあめりか」におります。せんとろあめりかとは、そもそもスペイン語で「中央アメリカ」ということで、英語で言えば「セントラルアメリカ」でカッコをつけて「せんとろあめりか」と書いているわけです。
それで、どこを指して「中央アメリカ」というかと申しますと、北はメキシコから南はパナマ運河のあるパナマまでです。(しかしメキシコは含まない)日本全土の面積とそれ程変わらない中央アメリカ全域に、グアテマラ、エルサルバドル、ホンデュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマの計6カ国があります。
日本での知名度のあまり高くない中央アメリカ(以降はタイトルに申し訳ないから「せんとろあめりか」と呼ぶ)の中でも、たぶんもっとも知名度の低いと思われる国「ホンデュラス共和国」に来ております。なぜ私がここにいるのかと申しますと、日本政府の外務省の外郭団体に国際協力事業団というのがありまして、この中に「青年海外協力隊」といういかにも勇ましいそうで、ちょっと右翼みたいで現代日本には似つかわない名前の組織があり、私はこの「青年海外協力隊」の派遣で、ここ「せんとろあめりかホンデュラス共和国」にバレーボールの指導をしに今年7月30日にやってきました。(注:以降青年海外協力隊を協力隊と法律を無視して省きます。)

この協力隊は今からさかのぼること10年前、親分アメリカ合衆国の故ケネディ大統領(以前、女性週刊誌を賑わせていたジャクリーヌ・オナシス夫人の前の夫)が就任中提唱して作った「ピース・コー(平和部隊)」に右ならえして作られた物です。現在はアジア、アフリカ、中南米などの発展途上国20数カ国へ日本の若者(中には30才を越えた壮年もいる)が派遣されいろいろな職業で現地人の中にはいり込んで活動しております。ここホンデュラスへも40余名の協力隊員がおり、漁業、農業から音楽、スポーツまでさまざまな職種に及んでおります。

今回の最後に、この国の簡単なコマーシャルをしておきます。正式名を日本語で「ホンデュラス共和国」首都はテグシガルパ市。人種はインディオと白人の混血が91%インディオが6%黒人が2%白人が1%で、メスティーッと呼ばれる混血が圧倒的に多い。国土は北海道と九州を合わせたくらいに等しい。こんなところがこの国の概要でして、スペイン人がアメリカに渡り植民地とした末、1821年に一応独立していますから、アフリカの新興国とはちょっと様子が違うわけです。混血人種であるということはバツグンに美人が多いということでありまして、その辺につきましても次回から気がつくまま少しずつ言いたい放題言わせていただきます。
アディオス(スペイン語でさよならのこと)
その2 四季・政男と異国
Vol.22 1982.1
拝啓 掛川市民及び周辺市町村の皆様「あけましておめでとうございます」太平洋の彼方からの新春のお喜びを申し上げます。日本は寒くて寒くて毎日ルブルブ震えていることでしょう。でもホンデュラス共和国テグシガルパ市は赴任した7月から相も変わらず「夏」です。一年中クーラーもストーブも使う必要がなく、着る物も日本のように季節によって変化するようなことはありません。昼間は年中夏服で済ます事ができます。(街を歩いていて年中楽しめます。ウシシ…。)このような国を称して最近欧米あたりで「経済大国」とは言いません。(今、だまされそになった人は、欧米コンプレックスに侵されている人。「そんなこんじゃダメだに〜」)

とにかく、日本流に言う「不快指数○○%」という感じの日はほとんどない。現在これを書いているのが、11月7日(土)の夜10時。Tシャツとトレーナーそれにトレーパン(もちろんパンツははいてますよ)で素足。「社長?今夜のご気分は?」と聞かれれば、毎晩「今夜は最高!」と答えるくらい快適。ヘッ!ざまあみろ、くやしかったら太平洋を泳いでここまで来い。

しかし、この世に生まれて20数年間(正確には28年間)、四季の区別のはっきりしている日本で暮らしてきて、四季の感覚が爪のアカまで染み透っている。だから例えば11月は5時前に日が暮れ、夜はだいぶ冷え込む日もあり、コタツやストーブが恋しくなる。落葉樹の葉っぱが日に日に少なくなり、一周期の終わりを感じるような月。(わぁすごい、この感性の豊かさ?背中がむずむずしてきた。)とにかく日本には、感じ方は十人十色で多少の差があれ、中にはまったく感じない無感性人(バルタン星人の子孫)もいるかもしれないが、各々の月の持っている特徴や風情があり、各自が各自のイメージを各々の月や四季に対して持っているはずである。

真夏(7月の終わり)の日本から真夏のホンデュラスへ来て、8月、9月はまったくといっていい程「妙な感じ」は持たずに過ごしたのだが、10月、11月がダメ。頭で10月であることはわかっていても、身体に何の自覚もない。これは前述したような理由で仕方のないことであるが、ちと寂しいものである。

しかし、この「無月感症」のおかげで、10月初旬を狂乱状態に陥らずに過ごせた。ピークは10月10日、11日。誰ですか「アッ体育の日だ」なんて言っているのは?そんなこと言っているあなたのお住まいは?森町、それじゃあ無理も無い。いいですか、よく聞いて下さい。長い伝統を誇る「掛川祭」の行われる日なんですよ。「なんだぁ」なんて言っている人はもう遊んであげません。僕にとっては、盆と正月をたして2乗し、その上に目玉焼きをのせたってまだ足りないくらいの大事な物なのですよ、ヨロシク。

去年(1980年10月号)この78%の特集で「祭特集」組んだ時、僕が逆立ちしてもかなわないくらいの「祭吉ガイ」の友人の陰謀で、祭りについて書かされた時も、「日の入り・虫の音、そして金木犀のバツグンに品のある香りが祭りの近いことを知らせてくれる」と言った。そのくらい僕のイメージが季節感とガッチリ結びついているものなのである。初めて味わった「お祭りのない10月」を無事乗り越えられたのも、ここホンデュラスの気候のおかげである。

「常夏さんありがとう。来年の10月もう一度、無事に乗り越えられますようお願いします。」と神様に祈っておこう。ではまた来月。アスタ・ラ・ビスタ!アディオス!(スペイン語で、ではまた!さようなら!)来月号から「ワン・ポイント・スペイン語」を開設します。楽しみにしててネ、ワーオ。
その3 ビバ!ホンデュラスサッカー
Vol.23 1982.2
11月1日から22日まで首都テグシガルパの国立競技場(収容人員5万人の本格的スタジアム)で、来年のワールドカップ世界大会(於:スペイン)の、中・北米地区代表を決める大会(二次予選)が開かれた。結論から先に言うと、我らがホンデュラスが優勝!中・北米地区第一代表になった。北米、中米、それにカリブ海の国々の各々の第一次予選を勝ち抜いた代表国が2カ国ずつ計6カ国集まって、2枚ある本大会への切符をめぐっての乱交試合(総当たりのリーグ戦)を行った。参加国はカナダ・メキシコ(北米代表)、ホンデュラス・エルサルバドル(中米代表)、キューバ・ハイチ(カリブ海代表)。

下馬評(現地人の知り合いの話)では、大国カナダとメキシコが強いということであった。しかし結果はホンデュラスが「3勝2引分」という成績で優勝。第2位もエルサルバドル。いずれも日本の国土の半分にも満たない小国(エルサルバドルは四国とほぼ同じ)が代表権を得た。小国が大国を負かす感激はきわめて日本的である。

ホンデュラスの第3戦でカナダに「2対1」で勝った試合などその極致。この試合は僕も第二の祖国(と思い込んで住んでいる)の応援にスタジアムまで足を運んだ。貴乃花が北の湖を決定戦で破って優勝した時のような感激なのである。日本人はとかく、小さな者が精一杯真っ向から大きな者にぶつかっていく姿に、ものすごく感動と美意識を持ちたがる。僕もこの精神構造のご多分にもれず、大の貴乃花ファンで、サッカーにおいても、このカナダ戦が一番熱が入った。

他の例を挙げると、女子バレーで「金メダル」を取った時も、相手がソビエトという想像を絶する大国で身長でも平均5〜6cm日本を上回り、よってより強烈な攻撃をする。それを必死に「回転レシーブ」で拾いまくって勝つ。こういうのに非常に弱い。これが一つ間違うと「一億総火の玉」となって、論理をまったく無視して情熱だけでつっぱしってしまう危険性も含んでいるから恐ろしい面もあるのだが…。

話を戻そう。ラテン国であるから、なんといっても国技はサッカーだ。スタジアムの興奮の様子を伝えよう。スタジアムは超満員。当然観衆の99.9%(いやそれ以上かも)が地元ホンデュラス応援である。僕も当然この中の一人。広島球場の赤ヘルの応援も真っ青の熱気である。広島球場でさえ三塁側のベンチ上あたりはビジターチーム(阪神や巨人や中日)の応援団がいて旗をふっている。しかし、ここはスタンド全部が「オンデュラス」(スペイン語はHを発音しない為こう言う)である。日本の高校野球のような「応援団」というものはまったくない。自然発生的にスタンドのあちこちで「オンデュラス」(どういうわけか三拍子)の大合唱が起こる。時にスタンドが全て一つになってしまうこともある。5万人が一つの気持ちになっていると指揮者がいなくても「統一」されてしまう。まるでナチス・ドイツのヒットラーの演説でも始まりそうな感じ。まったく群集心理である。異国人である僕までその大合唱に胸がジーンとしてきて、涙が出て来そうな感激が沸いてしまう。内心。

「なんだこれは、やばい、ファッショだ!」なんて思ったりして。これが健全なスポーツの場だから「すばらしい」わけだが、ひとつ方向をまちがうと「一億総火の玉シリーズ」になってしまうわけ。それで、国際試合それも代表チームの試合なわけで試合前国歌吹奏がある。ここでまた大感激。スタンドの観衆も全員起立して大合唱。これは理屈抜きでいいものである。この国歌吹奏、余談だがブラスバンドのヘタさは東中をもしのぎそう(私事だが、小生東中のブラスバンドのOB、これ本当の話)。それとホンデュラス国歌の長いの長くないのってスゴイ。たぶん世界中の国歌の中でも長い方から5本の指に入ろう。とにかく生まれて初めてサッカーの興奮を味わった。史上初めてホンデュラスが世界大会への出場権を獲得した時に赴任しているなんて、スポーツ好きな者にとってはこの上ない感激である。何十年後がバレーボールにもこんな光景が実現すればなんて思ってもみたりした。ではまた、アディオス!
その4 オラー!ケタル? 
Vol.24 1982.3
今月号は英語や仏語と比べると、まだなじみの薄い西語(スペイン語)についての言いたい放題。サブタイトルにある表現はこちらで生活していて一番よく使い、一番よく耳にする表現である。日本語で言えば「やあ!元気?」という感じ。親しい間柄で特に交わされる一番簡単で頻度の高い表現である。あとカラオケファンにおなじみの「コモ・エスタ(como esta)赤坂」これも西語である。これも挨拶表現で、英語のHow are …?に当たる。サブタイトルを「何だこりゃ?」と感じた人がいるであろう。別に冗談やおふざけで書いたのではない。これは西語のちゃんとした決まりなのである。これを守らないと一年以下の懲役または3万円以下の罰金…?

西語は一口に言って、日本人には覚えやすい外国語である。なぜなら発音が日本語に非常によく似ているからである。母音が「a・e・i・o・u」の5つしかない。これは日本語の「アイウエオ」とほぼ同じ発音をする。英語にある(弱くァ)とか(弱くェの後にア)みたいな我々にはヘンテコに感じる母音がない。だから日本と同音異義の単語がいくつかある。
例えばtaberna(タベルナ)→酒場・バー、vaca(バカ)→牛・め牛・牛肉、toro(トロ)→雄牛・闘牛、闘牛は正式には「corrida de toro(コリーダ・デ・トロ)」という。あの有名な大島渚監督の映画「愛のコリーダ」はこれから取ったタイトルなのである。意味は「走行とか突っ走り」。これで納得してもらえただろう。

今の日本は少し外国語が出回りすぎて、言葉は知っているが意味が分からない場合がある。例えば、国鉄駅に必ずある「鉄道弘済会」を「キヨスク」ともいう。僕自身もそうであったが大半の人が鉄道弘済会の英語か何かの略語ではないかと推測する。しかし実際はもっと単純なのである。仏語で「売店・小店」という意味。この単語は西語にもちゃんとある。ただ発音が少しばかり違っていて「キオスコ」という。

仏語と似ている例を出したが、こんな例を出したら切りがない。というのは、両方とも歴史的には「ラテン語」から派生した兄弟みたいな言語なのである。他にラテン語系といわれるものには、イタリア語、ポルトガル語、ルーマニア語がある。英語も仏語からの影響をバンバン受けた言語の為、西語との関係も深い。よって西語を知識として覚えるのであれば、英語の知識量はかなり大きなウエイトをしめる。よって英語が堪能な人であれば普通の人の半分(場合によってはそれ以下)の労力で西語をマスターできるといえる。そこから仏語や伊語またポルトガル語へはもっと関係が深いから、もっと労力が少なくて済むといえる。

先日仕事仲間のホンデュラス人がイタリア語の雑誌を見ていて、だいたいの意味を把握していた。「ムイ・ファシル」(簡単だよ)と言っていた。ポルトガル語はもっとよく似ていて西語対ポルトガル語で会話をしても、だいたい通じ合えるらしい。「よし、いっちょうポルトガル語も手を出してみるか」なんて思ってみたりもした。

ぜんぜんまとまりのない「スペイン語入門」になってしまったが、今回は簡単なアウトラインということにする。またもう少し具体的な「西語のアエイオウ」を次の機会に述べてみっかやぁと思っている。ああ、掛川弁がなつかしい。刺身と納豆が食べたい。「欽ちゃんのどこまでやるの」と「アントニオ猪木のプロレス」が見たい。岩崎宏美の新曲聴きたい。ついに言いたい放題も末期症状をむかえた。アディオス!
その5 iQue Bonita!(ケ・ボニータ)おんなのはなし
Vol.26 1982.5
中米だよりも早いもので今回が5回目。ちょっとさぼっておりましてゴメンナサイ。年が明け、'82年を迎えたら、時のたつのがメチャ早で、今日はもう3月14日。これが世に出る頃はもう初夏を思わす陽気になっていることであろう。日中は25〜26℃まで上がるが、湿気は少なく快適であり、夜も快よく涼しい。僕のいるホンデュラスのテグシガルパ市は年中だいたい「掛川の初夏」という感じ。日中の気温は30℃以上になるが、湿気が少なくそれ程不快感はない。しかし、日本でいう「ワビ・サビ」というものは生まれにくい。やはりキュッとしまるような寒い時もないと精神的にだらけてしまいそうである。これしかしらない現地人には何てことないのであろうが。「四季のすばらしさ」をこっへ来て認識している。

さて、今回のタイトル“Que Bonita”は「なんてきれいなんだろう」という意味のスペイン語。俗に発展途上国だの後進国だのと呼ばれているホンデュラスであるが、美人の生産高はがんこに高いといえる。これは小生だけの感想ではなく、来る日本人が口をそろえて言っていることなので、あえて断言する。最初の時に述べたように、スペイン系の混血が9割以上を占めている。混血というのは、日本などでもよくファッションモデルに使われる。なぜなら、目鼻立ちがはっきりしていて、グラマー(凸凹)なのが育ちやすい。スペイン系×インディオ(モンゴル系)なので、日本で人気が出るモデル風の女の子が町にウヨウヨしている。ヒッヒッヒッ!

それで日本人と比較して、ものすごい「早熟」。顔立ちがはっきりしているし、早熟でもあるしで、もう15〜16才で大人の雰囲気を持っている子がかなり多い。「信じられないなあ」と思うことがある。「娘十八、番茶もでばな」なんていうが、こちらではその感じが2〜3才低い。ここの2〜3才は大きいですよ。日本で15才といえば、まだ「ガキ」という感じで「マッチー!」だとか「トシちゃん!」なんてキャーキャーいっているのがほとんど。

それで年頃の女の子が日本と比べて、バツグンに明るい。日本人の女の子は、中学2〜3年になると急におしとやかになったふりをする。「女へのめざめ」みたいなものかもしれないが、あれでいて友だち同士ではギャァギャァとガキの延長が続いているのをみると、特別精神構造の飛躍的変化があった様でもなさそうであり、あまりあの二重構造は気持ちのいものではない。何か日本の湿潤的なイヤな面を感じてしまう。あの雰囲気はラテン系にはまったくといっていい程ない。とにかく「明るい」。前号で紹介したあいさつ「オーラ!」を道を歩いていて何気なく目があったくらいでも、笑顔で交わしてくる。バレーボールを教えに行って、少し親しくなればどこで会っても「オーラ!マサオ」とくる。
日本は、クラブ活動で集団になると先生や先輩に対して「こんにちは、お願いします」とキチっとするが、そのワクがとっぱらわれて個人の領域になると割とダメな場合がある。これを特に10代の女の子に強くあると感じる。「形式」の中にはまって、己がなくなってしまう。その己がない集団を形式にはめ込み、その表面的なものだけ重んじたり、えらく美化している場合がある。教師などこっとこういう点をまじめに考えるべきである。
こちらの人たち(特に若い女の子)の明るさを日本へもぜひ取り入れたいと痛感している。今回はこちらの良い面を述べたが、日本女性の美を再認識している点ももちろんあり、逆の感想「ビバ!日本のおんな」ということで次号に書いてみる事にする。アディオス!
(写真はエルサルバドルの国境に近い村の15才の少女。撮影は協力隊の仲間で、写真技術指導に来ている群馬県の山田芳久さんの写したもの。)
その6 iQue Bonita!(ケ・ボニータ)続おんなのはなし
Vol.27 1982.6
Buenos Dias!ブエノス・ディアスといって「おはよう」っていう意味のスペイン語。しかしここホンデュラスを含め、せんとろアメリカ全域が日本とは時差が15時間あり、昼夜がまったく逆。現在現地時間で4月14日御前8時50分。ということは掛川ではあと10分で15日の0時をむかえようとしているわけ。上内田の角皆君もう寝たかな?成滝の榛葉さん、だめだよいつまでもテレビ見てちゃ、何、11PM終わったら寝るって、ああそう。倉真の戸塚君は…もうとっくに寝ちゃいましたナ。もうお茶で忙しいだろうし、明朝も5時起きかな?ワッハッハ。

この時差というのは非常におもしろい。ちなみにメキシコも日本との時差は15時間。そしてJALのジャンボ・ジェット機でカナダのバンクーバー経由で成田からメキシコ・シティまでが15時間。ということは実際には15時間経過していても、時差がマイナス15時間の為に出発時間とほとんど同じ時間に到着し、結局飛行機内の15時間はゼロに等しいことになってしまう。

というわけで今回は「時差」についての話をしない。前回にひきつづき「女(なおん)」についての言いたい放題をつづける。ヒッヒッヒッ!

前回はホンデュラス女をほめまくった感が強いが、ついでにもう少しヘラヘラすることを述べちまう。それは「ダイコンが少ない」ということ。本物のダイコンのことじゃなくアンヨ(足)のことだ。膝から下が、細く長く、まっすぐの人が多い。ダイコンという感じの人は日本人の5分の1程度じゃないか。

例えば小生の配属先の文部省体育局のムーヘル(女)を見ても、約10人中ダイコンというイメージの人はたった1人しかいない。他の人たちはなかなか見栄えのよいアンヨをお持ちである。中でも副局長なんかストッキングのコマーシャルにも充分使えるくらいカッコイイ足の持ち主。それでいて両側にスリットのはいったスカートを大胆にはいているのでもうたまりませんよ。副局長といってもまだ30才そこそこ。肌もまだツヤツヤしてるし、かわいらしさも持ち合わせているので、局内ではなかなかの人気者。しかし、残念ながら、今回の内閣交替で4月12日を持ってクビになっちまった。シュンi。

副局長を例に出してほめまくったが、ほめるのはここまで。肌もツヤツヤしているといった彼女は例外中の例外。20才を越えると、どうしてあんなに見るも無惨に変わってしまうのか、と思うほどふけてしまうのが一般的。足に感心させられても、肝心な「お肌」はガサガサ、「お肉」はダブダブになってしまう。肌は気候と多いに関係ありそう。暑くても乾燥しているので潤いというものがなくなってしまうのだろう。お肉(贅肉)は食べ物のバランスの悪さではなかろうか。肉類(たんぱく質)に比べ野菜(ビタミン)が少ない。肉料理の横にちょこっと添えるとかスープに入れるという以外野菜をあまり使わない。日本のように「野菜料理」という感じのものはサラダ以外皆無に等しい。

民族的体質としても日本人より太り易いといえるだろうが、摂生するという観念も足りないようだ。また、男が女に対してやさしすぎて、態度が横柄というか女らしい謙虚さが少ない。日本と比べ、官庁の高いポストをかなりの数の女性がしめている。それだけ「男」がだらしないと感じる。男がもっとシャキッとすれば、女にももっと緊張感が生まれ、肥満防止につながるのでは…。日本の美しい若き乙女たちよ、自由をはき違えないよう「真の美」を追求してくれ給え。資生堂やカネボウだけに頼っても美しくはなれませんぞ。
その7 途上国の現実 その1
Vol.28 1982.7
Hola! Que tal? いよいよ日本列島も夏、こちらホンデュラスとほぼ同じ気候になっているわけで、そう思うと何となくうれしい気持ちになる。日本の新聞がだいたい一週間遅れくらいで届くが、それを見てコートなど着ている人のいっぱい写っている写真にポッと目が止まると「なんだこれ、変なの」なんて感じになる。一年中寒さ知らずでいられるのは楽でいいわけだが、時々「涼しさが欲しいなぁ」と思う。

3月など乾期の後半で最も日射しが強く、そんな中で、小・中・高等学校へのバレーボールの循環指導が始まり、夜帰宅すると頭がボーッとするし、目はチカチカするしでもう大へん。さすが南国の日ざしは半端じゃないということをイヤという程味わった。(でもイヤっていわなかったよ。)でも、正直な感想、こういう所(寒さのまったくない所)に永くは住めないと思っている。やっぱり、ピリッと身が引き締まる時もなくっちゃ頭がヘレマかっちゃう。「やっぱし、日本の四季ってものはいいもんだねぇ。季節の移り変わりによって、何ともいえねぇ情緒ってぇもんが生まれるんだよ。」と痛感している。

前回までは、サッカーが勝ったの、女がウッシッシだと「キレイ事」的内容であった。しかし正直いって、ここホンデュラスは発展途上国中の発展途上国。工業は皆無に等しい。石けん一つ自国で作れないというのが現状。首都の道路には車の渋滞が毎日起こっているくらいCarro(車のこと)が氾濫しているが、その四輪車の約80%はトヨタ、ダッツン(ダットサン)を中心とする日本車。バスにしても、いすずと日野が目につく。こちらに来て「輸出の花形・自動車産業」と言われるわけが身をもって理解できた。

ホンデュラスという国を知っている日本人が全体の1割弱であることは確かである。そんな遠い存在、いやほとんど日本にとって存在感のない国へも物はどんどん輸出されているという事実は、ある意味では恐ろしい感じがする。なるほど、これじゃ経済大国ニッポンだと、エコノミックアニマルだといわれるわけである。

もちろん目につくのは車だけではない。カメラ・テレビ・ラジオ・時計…ステレオもかなりの数が日本製である。まあ、こういった機械類はある程度理解できるが、前述した「石けん一つ」という例が示すように日用雑貨類もほとんど輸入に頼っている。

輸入の例を上げるとキリがないので、ホンデュラス製と表示のある物を二つ三つあげてみよう。ビール・牛乳・各種ジュース・コカコーラ。コーラは日本においても原液はすべてアメリカだから、純粋な意味では違う。「えっ、これだけ、ウソー?」って思う人も多いだろうが、まぎれもない事実である。牛肉は安いので、ハム・チーズ等の加工品ぐらい自国でやっていけそうに思うが、コスタ・リカ製などが多い。コーヒーの産地であり、毎日の食生活に欠かせないが、コーヒーカップも砂糖を入れるスプーンも日本製・中国製が目につく。

このような現状をただ一口に遅れているなんて具合に片付けられないいろいろな要因がある。自分でもまだわからない部分はあるわけだが、小嶋政男なりに「これじゃいかん」って思うことを次回から少しずつ述べてみたい。一応国際協力というものの最前線にいるわけで、おえらい方が表面的なものでどうのこうの言っているのとは違う「一つの真の途上国感」「肌で感じる途上国」を言いたい放題言わせてもらうとする。アディオス!
その8 途上国の現実 その2
Vol.29 1982.8
!Hola!? Que tal!? Yo estoy muy bien. 何かぜんぜんわけのわからない横文字で始めてしまったが、正真正銘のスペイン語です。最初のは「やあ!元気?」次のは英語の “I am very fine”に相当する。つまり「とっても元気だよ」ということ。発音は「ヨ・エストイ・ムイ・ビエン」。英語のように日本人にとっては奇妙ともとれるむずかしい発音の必要はまったくない。日本語そのものに発音してまったく支障がないわけで、以前も少し述べたように、この辺がどの言語より割と親しみ易い要因である。

帰国したらいっちょう型破りなスペイン語勉強会を開設しようかナ?題して「アブノ(アブノーマル)スペイン語講座」それも対象は全部嫁入り前の女の子だけで、「お嬢さん、嫁入り道具に産地直送の新鮮なスペイン語はいかがですか?」5〜6人は変わり者が集まるかも…?

話が脱線したところで、転覆しないうちに本題へ移ろう。とにかぬ日本で生活しているば考えられないようなことがいっぱいある。しかし、これらは一見しただけではわからないことがいっぱいある。なぜなら一見すれば意外と近代的なのである。前回も述べたように、車だって所狭しと走り回っているし、町を歩けばきれいに着飾ったお姉ちゃんを見かけることができる。スーパーマーケットもあれば、ローラースケート場だってある。しかし、これらの近代的になっている部分はほとんど全てアメリカや日本を中心とした外国からのものでおおわれているにすぎない。

日本だって資源の乏しい国で、石油を中心にいろいろと輸入はしている。しかし、それらを使って生産する技術を考え出していっているので「経済大国」になり得るのである。日本とホンデュラスを現時点でまともに比較することは土台無理な話であるが、正直な感想で「創り出そう、工夫しようという姿勢が足りなさすぎる」と思う。

自国で作り出す努力を怠っているくせに、物欲は割とある。まあこれも僕が現地でつき合っている恵まれた生活のできている人々のことで、全体像としていうのには多少の疑問が残ることであるが、すぐ人の持っている物を見て「私にちょうだい」という。本当に恵まれている感じの人々はいわないが、首都に住んでいて標準的と思われるような階層は簡単に「くれ」ということをいう。これがイヤでたまらない時がある。

異文化の中で暮らしているんだから、日本とは違って当然ということも、事と次第によって寛大にばかりなっていられないことがある。こっちだって自分の感情で生きているし、自分の信念として許せないと思うことはどこにいてもある。だから、たた他国人の悪口を言いたい放題したいというのではなく、これは人間対人間のモラルとして考えるべきことであると思って接しようとしている。

日本の外交政策も当たりさわらざるで「実数」だけにとらわれて「本質」をきわめていないと断言できる。ただ派遣すればいいという問題ではない。いずれ途上国も独り立ち出来るような方向で協力を考えなければウソである。外貨をどんどんかせいで、その代償にボランティアなんという一見意味ありげでカッコよさそうで、本質を理解していない名のもとに派遣される我々の多くは来てみて「ビックリ・ガッカリ」しているのである。戦争は二等兵が語るものが本当の姿であるように、南北問題は我々のような最前線で協力活動といわれるものをして、現地人と直接同じレベルで接しているものが語るものが本当の姿であると断言できる。アディオス!
その9 憎っくきアメーバー菌のはなし
Vol.30 1982.9
中米ホンデュラスへやってきて早12ヶ月目を迎えようとしている。おかげさまでここまで事故も寝込むような病気もせず折り返し地点を迎えられそうだと思っていたら、6月ヒドイ目にあわされた。それはというと「アメーバー赤痢」である。といっても日本ではあまり聞き慣れないものなので、掛川及びその周辺にお住まいの日本人の方々のほとんどは知らないであろう。

小生も利香の授業か保健体育の授業かで「アメーバー」ということを耳にした記憶はあるが、こんにゃろうがこんなに質(たち)の悪い野郎であるとは今回の20日間10本勝負を闘うまで知らなかった。「タイガージェットシンかアメーバーか」ってくらいの悪党である。(この意味がわからない方は静岡けんみんテレビ金曜夜8時からの番組をごらんなって下さい。)

さて、このアメーバー菌、どうやって小生をいじめようとするかというと、ひかり号もまなわないような超特急のリーゲ(下痢)である。もろ「下痢」って書くと神聖な78%の誌面がまっ黄色に染まりそうなので、以後リーゲという逆言葉で印象を柔らげるとしよう。

リーゲは日本では「柔らかい・ゆるい」という感じで取られているのが普通であるが、こちらで味わうやつはそんな甘いものじゃない。リーゲの既成概念を覆えされるって感じのものである。まさに「液体」なのである。固体化しているものには「固い・普通・柔らかい」という形容詞は可能であるが、液体には無理である。だから「ピーピー」なんていう擬音表現もあてはまらない。「シャーシャーの極致」っていった感じ。いや申し訳ない。あまりに露骨な表現で掛川及びその周辺の育ちのおよろしい紳士淑女に顰蹙(ひんしゅく)をかうことになるし、小生自身の生まれや育ちを多いに疑われることにもなりかねないので、下品な表現はもう慎もう。といっても、「下の話」は続けるのだが…。

リーゲといっても四六時中続くわけではないし、熱が出るわけでもない。2〜3日周期で断続的にやってくるものだから、一度治まると「いやぁこれで峠を越えた、もう回復にむかうぞ、あとは下り坂だ」と錯覚する。だからかえって長引く結果になる。なばじ熱が出て、七転八倒するような状態に陥れば「これぁてぇへんなことだ」と即医者へ足を運ぶことになるであろうが、「ファイトで行こう!」なんて気合いを入れれば、がんばれないでもない気分なので、ついつい放っておいて、徐々に罪のない外国人(自分)のエネルギーを奪おうとする陰険なミクロ小僧である。

同じ協力隊で看護婦として働いている人に相談し、リーゲが始まってから17日目に検査を受けた。結果は「バッチリ住んでいらっしゃいました」とのことで、指示された薬を以降せっせと飲み、現在「アメーバ撲滅作戦」の真っ最中というわけ。回復もある日突然と良くなるというのではなく、2〜3日周期で少しずつ良好にむかっているという感じ。「三歩進んで二歩下がる」っていう感じで、まるで水前寺清子みたいな貧弱なくせに執拗くのさばっている野郎である。大嫌いなタイプであり、もうこの機会に徹底的にやっつけてしまわなければと思っている。

しかし、敵は水道の水に潜んでいやぁがるので、今回体内のチータ菌を全部殺っつけてもまた入ってくる可能性は充分ある。これが異国、特に発展途上国での生活の宿命的なものであり、これからもっと気を引き締めなくてはならない。「負けてたまるか!」そこへいくと日本の水道は完璧に近く「世界最高」であろう。市役所の水道課のお兄さんたちGracias(ありがとう)!
その10 ムシィカ(ミュージック)のはなし
Vol.31 1982.10
こんにちは、昨年この78%に投稿し始めたのが「秋」。その秋がまたやってくる。「ド早いやい」という感じ。人間の時差的感覚は一種の加速度的速さで年とともに速くなるような気がしてきた。ガキの頃の2倍も3倍もの速さで一年が過ぎ去っていくような気がする。流行歌の流れも3ヶ月周期。

例えば、78%5月号のSOUNDBEST10のシングル第一位がマッチの「ふられてBANZAI」これが7月号のベスト10にはもう載っていない。1位だけではない全部ない。ものすごい速さ。いくら流れ行く歌って書くとはいえ、これじゃあ台風の時の激流って感じで、よほどの関心を示していなけりゃあ、まったく知らないで消えちゃう。

だから暮れの「輝けシリーズ」もたった一年の総決算なのに、テレビ局が違うと同じ歌手でノミネートされる曲が違ったりもする。昔はレコード大賞一本だったからえらく重みがあったが、歌謡大賞が対向して出て来てからはやたらと「輝け!」を頭に付けて氾濫し出し、もう賞の軽さといったら綿菓子みたいだ。そして最近はやたらと泣く。どの輝けシリーズでもほとんど同じ顔ぶれなんだから、いいかげん感激もうすれているはずなのに、歌手も一回一回号泣したりなんかして…ご苦労さんなこった。

断っておくが、小生は大の音楽好きでその偏見のなさは誰にも負けない自信がある。先日高校3年になる甥の友人から「ジャズについて」なんていうたよりをもらい、小生の音楽感をお伺いしたいなんていうので、「岩崎宏美からマイルスディビスまで、つまり、戸口から戸口までみたいな国鉄コンテナ車的音楽感なのだ」と返事を書いた。だからいいものであれば、歌謡曲であろうがニューミュージックといわれるものであろうが好きである。

ここにわざわざ名前をあげた「岩崎宏美」は大ファンである。スター誕生からデビューしたばっかりの時からのファンで、デビュー曲「二重唱(デュエット)」をプロ歌手になって初めてスター誕生の番組で歌ったとき、「イヤッこりゃ本物が出た」と思い、翌日すかさずレコードを手に入れた(パチンコの景品としてだが…)。それ以来の大ファンであるからもう10年近い。

現在4枚のLPを所有しているし、ホンデュラスへも90分テープにバッチリ録音して持って来ている。帰国したら絶対コンサートに行って、生で聴いてみにゃならんと心に決めている。その彼女が7月号の78%では「聖母(マドンナ)たちのララバイ」で堂々第一位なのでクリビッテンギョウ(びっくりぎょうてん)。コンスタントな人気はずっとあったが、新人賞をとって以来ベスト3に入る程の爆発的ヒット曲は出ていなかった。誰かこの曲買った人すみませんがテープに入れて航空便で送ってくれません?住所は「A・P TEGUCIGALPA HONDURAS SR.MASAO KOJIMA」なんですけど。妹の良美ちゃんも頑張ってるかナ?

だんだんミーハー思考を暴露し始めてきたが、要するにもう少し周囲の氾濫する情報にふり回されないよう自分自身の音楽として、よいもの、本当に好きなものをじっくり楽しむ姿勢がもっとあっていいと思う。岩崎宏美は東京の下町で「三社祭」に小さい頃から親しんでいたという、「なるほどなあ」とうなずける。だからスティビーワンダーのステージに出て行って和服姿で軽く舞ってもサマになるわけで、「日本の伝統芸能バンザイ!」と声を大にしていいたくなる。

そういえば今年は大祭の年。なんてったって「祭囃子」が音楽の原点ですよ。別に音符なんか読めんでも音楽はやれるし、十二分に楽しめる。この祭りのすばらしさについて「音楽の話し第2弾」として、次号で言いたい放題言わせてもらうとする。