柚葉の仙人
Vol.37 1983.4月号掲載
菅沼純一
 私は、どこへ行くにも自転車を使う。自転車をしょって、ロック・クライミングをしたことはないが、山だって引っぱったり、かついだりすれば、たいがいの所へは行ける。私の友人で、時価五十万円の自転車を使っている男がいる。飛行機の材料にするチタン合金製のパーツを使って、自分で工夫して組み立てたものだ。時速は、オートバイの後にぴったりくっつけば100km出すことができるそうだ。私の方は、ごく普通の五段変速で、まにあっている。

 掛川の市街地を離れ、幹線道路から脇にそれると、自動車の出会うこともまれだから、貸し切り道路を走っているようで、何とも気持ちがいい。どこまでも茶畑が続いている。大尾山を自転車で越えるのは、一苦労だった。しかし、それでも山頂までで、下りは強力な重力エンジンが味方してくれる。ブレーキ無しでは命が危ない。

大尾山から西へうねうね少し下がった所で、視界が突然開けて、三軒ほどの家が目に飛び込んできた。こんな高い所に!と驚いた。畑をおこしていたおじいさんも、こっちに驚いたふうだった。道をたずねて、そこが柚葉(ゆずっぱ)だとわかった。

「どこから来なさったかね。」「はい、掛川の町からです。居尻の登山道を登って、山頂から下ってきました。」「自転車で?あんたは達者だね−。」「でも、昔はあの登山道を登ったり降りたりされたんでしょうから、それに比べれば何でもありません。」「そりゃ、まあ、そうだな。」

 それから、鍬をおいて、この集落の由来や、先祖のこと五輪様(この部落の守護神?五つの石でできた小さな塔)のこと、生活のことを話してくれた。その内に謎が一つ解けた。自転車を引っぱって登って来るとき、二日ほど前の豪雨にやられた箇所が、あちこち修復されているのに気づいた。誰だろう、こんな所を、こんなに早くなおしたのは?

「じゃあ、あれはおじいさんがなおされたんですか。」「それ位しか、なかなか他人様のためになる事はできんから。あれは、私のつとめだね。……で、あんたは何をなさっているのかね。」

「はあ、僕の仕事は。生きることなんですけど。」「ほ〜ぉ。あんた、わしと同じことを言う。まあ、何もないけど、お茶を飲んでいきなさい。ここの湧き水はおいしいから。」

 霞たなびく、人里離れた柚葉で、私は仙人と話をしているような、ゆったりとした気分になっていた。そして、そのおじいさんに、ぜい肉を削り落としたクラシカルで同時にラディカルな人間の原型を見て、なつかしささえ覚えた。

現代の仙人はテレビという新しい感覚器官で情報を収集し、それを熱心に楽しんでいて、世界が、戦争でもなく、平和でもない神経症の方向に動いていることを警告していた。

私は、その日、一人の先輩に出合ったのだ。帰り、自転車に乗った私は、自動車をはね飛ばすことさえ不可能ではなかった。