高校野球によせて
Vol.28 1982.7月号掲載
菅沼安規男
 いよいよ高校野球の季節となり、春の県大会に掛西・掛工とアベック出場した。今年の野球談義は例年になく熱の入る事でしょう。

 掛川は全国的にも野球の町として有名です。それは昭和の初期に掛一小の少年野球チームが全国大会で優勝してから、一層盛んになったようです。当時の中心選手の多くは、愛知県の中学(今の高校)へ進学され、甲子園に出場された方々も多くおられるようです。

 小学生時代運動会でエンピツ一本いただけなかった私は、なぜか野球だけは大好きだったのです。それが現在までズーと続いておるわけです。

 昭和21年に掛中(掛西)野球部が復活し、早速入部し本格的な野球の指導を受けたわけです。と言っても、当時は野球道具は乏しく、多くの先輩諸氏に記念のボール、バット、グローブは無論、スパイク、ユニフォーム、ストッキングまでも提供していただき練習したわけです。今思えばそれはヒドイ状態でした。ハダシで練習した時もありました。七月の県大会では、静中(静高)だけが揃いのユニフォームだったと記憶しております。

 当時私達をコーチして下さった先輩諸氏の中には、山崎論氏(東大出・現在東海大三高校長)、荒川宗一郎氏(早大出)、関原伸一郎氏(慶応大出)といった大選手もおられました。私個人としましては、掛西監督時代、稲葉誠治氏(慶応大出・日通浦和プリンスホテル)の教えを受け、また一回だけの甲子園出場だったが、その時、直接当時の高野連会長・故佐伯先生のお話を伺い高校野球の指導への非常な糧となりました。

 野球にも子供からプロまでいろいろありますが、とにかく、プレーする人、観戦に行く人と年々愛好者は増加の一途のようです。これは野球が私達日本人の国民性に合っているという事でしょうか。民主主義の国アメリカで生まれた野球も勝つための野球になると、世に管理野球といわれるように、野球だけでなく日常生活までも監督の指示に従わなければなりません。

 野球の監督、コーチは「チームの為」ということを教えながら、そのチームが最強になるようにポジション、オーダーを決定するのです。選手は打ちたいと思っても、監督からのバントのサインが出れば、バントし確実にランナーを進塁させなければいけないのです。又、守っている時は、どんなボンゴロでも外野手は、素早くカバーし内野手のエラーに備えるのです。これらは一部の例ですが、お互いに我がままを捨てて協力し、助け合って、しかも練習を重ねて、一層強力なチームが育つのであります。

 又、野球を評して90度に開かれたグラウンドに向かって、三人アウトになるまで平等に攻め合うとか、或いはファウルを打てば何回でも打ち直させる等は、いかにも平等の国アメリカで生まれたものであるという人もいます。そんな野球にも欠点らしきものもあります。

 1. お金がかかる
 2. 広い場所が必要
 3. 練習時間が長い

強くなるにはどんなスポーツでも共通とはおもいますが、好きな野球で心身を鍛練し、健康な身体を作り、健全な精神を養い、ルールを守る立派な青年に育ってほしいと、世の親は願っていると思います。

 7月20日頃より、静岡県も甲子園大会の予選が始まりますが、応援される方々はお祭り騒ぎにならないで、好プレーには拍手、ミスプレーには温かい声援をお願いいたします。選手諸君は苦労してきた「成果」を炎天下に示そうとしているのですから。