消えていく文明人のシンボル
Vol.27 1982.6月号掲載
舟木茂夫(医師)
 1977年10月、アフリカの東端に位置するソマリヤに発生した天然痘患者を最後として、その後二カ年間新たな患者の発生をみなかったことから、WHO即ち世界保険機構は1980年5月8日の総会で、天然痘の地球上からの根絶宣言を行うとともに、世界的に種痘は中止されるに至った。

 従って、世界中何処へでも、種痘済の証明書を持たなくても、安心して自由に旅行できる時代を迎えているわけである。このことは、科学・医術といった文明の進歩といえばそれまでのことであるが、実は人畜共通の伝染病と考えられてきたこの疾患が、単にヒトからヒトへの伝染病であって、他の動物には伝染力をもたないこと、即ちその病原体であるビールスは人体外では生存できないという事実が判って、1966年以降、開発途上国を中心に大規模な局地封じ込め作戦が展開され、当時紛争中であった中近東の諸国も、互いに一時戦争を中断してこれに協力するなど、健康を含めた広い意味での平和への人類の強い願いがそれを達成させたのであった。

 また、従来文明人であることを表す一つのシンボルともみなされてきたホウソウの跡ではあるが、一時期にはミス○○候補にとってはまさに「画龍点晴を欠く」ようなもの即ち唯一の汚点として惜しまれたり、さらにこのことから女性の露出度をめぐる論議に発展したこともあったが、遂に人類の腕から消え始めると同時にもはや地球上から貧富以外の文明に対する民族間の隔たりも取り払われ始めたということになろう。

 顧みればイギリスでエドワード・ジェンナーが始めて牛痘接種を試みたのは1796年5月14日のことで、それ以来天然痘及びその予防手段であった種痘に関しての数々のエピソードが語り継がれてきていた。それらの中には、先ずジェンシナーが自分の子を第一号の実験に使った話であるとか、わが国でも牛痘苗を始めて移入することに成功した佐賀鍋島藩で、先ず医師の子供らについてその安全性が確かめられた後、さらにその理解を得るために、藩主の子供から次第に下級の武士の子供らへと行われ、最後に一般庶民へと拡げられて行った話などというように長い間どちらかといえば道徳教育の教材として使われてきたものが多かったのであるが、ここで大きな転機を迎えたといってもよいだろう。

 まっしぐらな青春を過ごして、後悔を残さないためには、時には歴史の小径に立ってふり返り、明日への方向づけをはかることが必要ではないだろうか。