私と公園
Vol.33 1982.12月号掲載
桜井義之
 ささやかなわが家の裏庭では今マリーゴールドが黄金色にまっさかりだが、日の暮れ掛川公園に足を運ぶと、レンガ積みの花壇に異種のマリーゴールドや真紅のサルビアが鮮やかだ。そこから掛西高校の正門のほうへ下る坂の途中に、明治維新前は銀杏御門と呼ぶ城内への通用門があったと伝えられる。

 五十年前、私らの子どものころにはもうその門も銀杏の木もなかったが、モミジの小木が崖に生え出ていた。それが今は大木になって、みごとな紅葉ぶりを見せている。
 道ゆく人は忙しすぎるのか、ふり仰ぐ人もすくない。朝早いこの公園の森は十数種類の小鳥たちの地鳴きで賑やかだが、そのさわやかなさえずりを楽しみに訪れる人も稀だ。緑樹にしても野鳥にしても、手近な自然がなおざりにされているのは惜しい。

 裏庭のマリーゴールドは旅先の蓼科温泉の路ばたから妻が種子をつまんできたものだが、やはり高原に咲いているときのほうがみずみずしい。霧ヶ峰の湿原のあたりで目に止まったナナカマドの目のさめるような色艶を思い起こしたのは、パリのモンマルトルの裏通りのひっそりした住宅の表庭に、真赤なナナカマドを見つけたときだった。

私は還暦近くになってからパリに旅して、やっと心のふるさとを尋ねあてた思いに嘆息した。パリのよさは美術館・宮殿や教会建築・マロニエの並木・劇場・石畳の坂路・多目的利用のセーヌ河畔・町かどや広場の彫刻・女性の衣装・フランス料理・焼きたてのバケット(フランスパン)など、あげればきりがない。なかでも心をひくのは自由というもののよさのにじみ出た市民の生活感覚と、数多い緑の公園であろう。

 それらは私のなかに眠っていたものをゆり起こした。若いころパリを体験していたら、恐らく私の人生は違ったものになっていただろう。あのころの環境や戦争をいまさらうらんでもしかたがない。せめて数年パリ生活をしてみたいと思ったが、仕事や生活の現状からして無理なことだった。

ブルーノ・タウトが日本の発見をうたっても、しかめつらをした宮内庁の警士がまもる桂離宮を好きにはなれない。千利休の茶室や小堀遠州の庭園がはやされても、子どもたちが自由に遊べない日本庭園など、しょせん見せてくれるものであって楽しめるものではない。よく恩賜(おんし)公園などというものがあるが、名前だけでうんざりする。

 老人も子どもも小犬もリスも、のびのびと出入りしているパリの大庭園こそ庶民の社会の資産といえる。私ども幼いときには掛川(旧)にひとつしか公園がなかったが、最近は田舎の町でも都市計画をしき並木や公園を設けるようになってありがたい。地区公園や児童公園・遊園地・運動公園・総合公園など雑多だが、やはり森林公園的なものを加味した総合公園がよい。

 それも花壇作りに幾何学模様をとりいれ、雑木の疎木を主体にしたフランス式庭園をふやしたい。彫刻の森や箱根美術館と一体化した美しい強羅公園(洋庭)など何度訪れても飽かない。国内旅行も遠出観光ばかりせずに近くのよいものを多くの人に再発見してほしいものだ。