小笠山系の動物伝承、その考察
Vol.32 1982.11月号掲載
中山 正(愛知大学教授)
 その山容が市内のたいていの場所から望見される、小笠山は、掛川市の人々にとっては、なじみ深い山である。したがって、この山系には、種々のサイドからアプローチがなされているが、ここでは民族学の観点から、この山系で起こったと伝承されている動物に関係する話を一つ述べ、若干の考察を試みる。

十八世紀のなかばごろのことと思う。晒川布右衛門という、当時横須賀侯の抱え力士があったそうである。人物の素性の穿鑿(せんさく)などは、伝承を物語る上では、無用のことかと思うが、簡単に述べると、市内上垂木の佐藤家(家号大日現在の当主良一君)の出で安永年間に没した人物であり、この力士が横須賀侯から拝領した刀などはいまでも佐藤家にある。

さてこの力士が、あるとき、在所の上垂木から、小笠山越えに旧横須賀街道を夜道中したが、その途中、小笠山中で狼に襲われていた婦人を、一喝して狼を追い払い助けたというのである。婦人は当然のことながら恩義を感じて、生涯春秋二回お礼に来たそうである。
 事件の描写をドラマチックに述べたいが、つぎの考察の方が大事なので、こちらに紙面を割いて以下に(1)(2)の二点の考察を書く。

(1)「小笠山系には当時日本狼が生息していたか?」であるが、この疑問は本紙8月号(29号)6頁にも提起されていたもので、筆者は十八世紀の日本狼の生態については無知だが、例えば、やはり江戸時代に書かれた「耳嚢」(根岸鎮衛著)に、小夜の中山附近に出没する狼という記述のあるところからすると、小笠山にも狼は生息していただろう。

(2)つぎに第二点としてこの伝承は、私見を述べるなら、つぎのように解釈されるべきものと思う。紙面がないので簡約して述べる。

 力士というものは力の権化、強力なものの象徴として、常人をはるかに超えた、場合によっては呪術的な「力」の持ち主でなくてはならない。たとえば横綱の締めている所謂「綱」はシメ縄で、これはその横綱力士を神格化するものだという解説などはテレビの実況中継でも放送される。また大関という語は「関」をさえ一人で守ることのできる強力な力の持ち主の意から出ているというのは和歌森太郎の所説である。横綱大関以下の力士でも、すべてこれにつぐものとして、常人を超える強さを持たなくてはならない。つまり、この伝承では、兇悪で人を襲う狼などさえ一喝して苦もなく追い払える「強い男」として「力士」晒川布右衛門が物語られるのである。

 この地には、他にも力士の強さを物語る説話が数多く残されているが、遺憾ながら、割愛せざるを得ない。

 最後に一言。当時の力士は現在で言うなら力士の他に、プロ野球選手、流行歌手(巡業の興行先で相撲甚句を唄う)を兼ねたような、庶民のアイドルであって、地方での人気もきわめて高かったようで、これを伝える伝承もいろいろ語りつがれているが、紙面の都合で不本意ながら述べられない。