掛川について思うこと
Vol.22 1982.1月号掲載
阿部紘一(毎日新聞記者)
 掛川城の桜も散った昨年の5月末、掛川市民の仲間入りをしてから早いものですでに1年半がアッという間に過ぎてしまいました。まだ雪どけ道が残っていた北海道から一転、春らんまんの地へはるばるやってきたものですから、見るもの聞くもの全てが珍しく自転車で田んぼ道を走ったりお城を散策したり1ヶ月ほどは仕事もせずに掛川の空気になじもうと懸命でした。

 長い間、掛川に住み馴れた人には、「なあんだ」と思うようなことでも私にはとても興味深く感じたことも多々あります。まず、初めて降り立った掛川駅。木造でしかもトンガリ屋根。いかにも風格があってボストンバッグ片手にあかずながめたものでした。それから、掛川城。街のど真ん中にこれだけ立派な文化遺産が残されたいることを市民はもっと自慢してよいのではないかと最近は思っています。そして、お城の隣に市役所があることを知り、びっくりしました。お世辞にも立派な建物とはいえません。生涯学習都市宣言の号令をかけたシティホールにふさわしくないとも感じたものです。

 榛村純一市長と初めて会った時の私の印象もチョッピリ紹介しますと、市長室に入って行くと主の姿が見当たらず、隣の秘書係の部屋をのぞくと若い課長か係長ぐらいの年格好の男がニコニコしながら立ち話をしているのが目に映り「なかなか元気のいい職員がいるわい」と思っていたら、この御仁さんが市長本人。我ながら眼力のなさにガックリさせられました。初会見は短い時間でしたが、掛川学のエキスの初講を受け「若くてやる気のある市長を持ったかけがわはシアワセだワイ」と思ったものですが、その後は市長自身にとって思いもつかなかった市職員の不祥事が昨年相次ぎ、ガックリ肩を落とした姿がいまもほうふつとします。

生涯学習センター、新市民病院建設、新幹線掛川駅設置など掛川は、大プロジェクト達成に向けエンジンをふかし始めたようですが、小路が続く昔の城下町の名残りにも棄てがたいものがあります。新開地はともかく、昔のマチ並みも残しながら掛川の化粧直しが出来ないものか少しノスタルジックかも知れないが、むやみにマチをいじくり回すようなことには賛成しかねるのです。

「掛川ってどんなところ」と聞かれるたびに、「別に変わったところじゃないよ」というのが私の決まり文句。どうやら、半掛川人になってきたよう気がするこのごろなのです。