第四の青春
Vol.11 1981.2月号掲載
溝口博之
 私は過去三回の青春を味わった。最初は二十歳までの青い春。戦後の混乱期からやっと立ち直ったばかりの時代、今の若者に比べれば正真正銘の蒼い時。二回目は結婚までのピンクの青春。見せかけの恋を数度、本物を一回。三回目が青年会議所(JC)入会から昨年卒業までの緑の青春。ボランティア活動を通じて、自分のやっていることが、ほんの少しでも世の中の為になっていると信じて夢を見、情熱をもやしていた時。JC卒業年令が四十才だから世間から見ればヒネタ青年だが、心は今もってメルヘンの世界をさまよっている。この不況下に、髪に白いものが目立ってきても、夢ばかり見ている四十才の男に対する世の中の風はどんなふうに吹くだろうか?

 昨年の流行語に「……はそれなりに」というのがある。中年は中年なりに不惑の言行をしていれば世の中丸く納まる、というのが一般の見方。でも現代の複雑きわまりない社会でいったい中年の何パーセントの人が本物の不惑の心に達しているだろうか。日常の忙しさにかまけて、迷うとか不惑だとか考えている間もなく日を重ねている人が大部分であろう。

 市の職員の不祥事で榛村市長が手厳しく批判された。市長は市長なりに足下を見つめよ、というのが一般の見方。でもそれなりの市長になってしまったら若者にとって再びつまらない夢のない街になってしまうだろう。しかし、他の人に替わらない限りぜったいそうはならないだろう。なぜなら彼は私のメルヘンなんかものの数ではないメルヘンな男、そして不惑式なんて考え出すほど不惑の心に達していない男なのだ。彼は中年の青春のまっただ中にいるのだ。

 今年から私も中年の青春に突入する。はたして第四の青春は何色になるのだろうか?