二俣線に思うこと
Vol.21 1981.12月号掲載
山崎堅二
 いつだったか秋葉山へ行った帰り道、天竜川沿いに車を走らせていると川の中に橋脚がいくつか作りかけのまま放置されているのが目に入った。聞くところによるとこれは国鉄佐久間線の鉄橋で将来は北遠と信州を結ぶ予定であったが工事が中止されてしまったと言う。

 国鉄の不採算部門切り捨ての為に現役の二俣線でさえ廃止の運命にあるとき、工事中のものが中止になるのも仕方がないかも知れないが何とかこれを生かす方法はないものかと考えてみた。

 昔から「塩の道」として相良、御前崎から掛川、二俣を経由して海の産物が山へ、山の産物が海辺へと運ばれていた歴史があると言う。

 定住圏構想などによって住み良い掛川、豊かな掛川が論じられている今日この頃、この「塩の道」の復活はできないだろうか。

 佐久間線を復活させ、さらに掛川から御前崎港まで新線を作り信州の伊那谷から御前崎港まで直通電車を走らせる。そして掛川に流通の拠点として各種の市場を設置し、海の幸、山の幸の交換所とする。又、市長の唱えている新幹線掛川駅が出来れば南北だけでなく東西をも結ぶ中継点となる。

 御前崎周辺も観光開発がさかんに進められており、一大観光ルートが出来上がる。現在は「お茶の掛川」として各方面にPRをしているが、それ以外に市長のよく言われている名物・名所をまとを絞って重点的に開発し、観光資源として大いに外貨を稼いでもらいたい。

 海から山へ、山から海へ行く人達が必ず立ち寄る街にならないだろうか。来街者が増えれば街も活気づき、街が栄えれば税収も上がり公共施設もどんどん出来るだろう。そうすれば中央から色々な企業や教育機関も進出し、掛川に定住する人も増えてくる筈である。
「心も財布も豊かな掛川市」にする為にこんな夢はいかがだろう。