掛川タウン誌
78%KAKEGAWAの発行人のやなせかずこが取材や仕事を通じて思うがままに書き綴った日記。
1985年 Vol.68
1985年10月10日

祭り特集の取材で掛川警察署としての考えを聞くために、連雀に設けられた警備本部に立ち寄った。警察官というのは日頃からどうも近寄りがたく最初は「どうしようか」随分迷った。でも、エィ!とばかりに勇気を奮い起こして行った所「警察ではそういうことに関与していないので…」と、ノーコメント。誠に素っ気ない。職業柄ヘタなことは言えないということも理解できる。答えられなければ答えられないでいいんだけど、どうも威圧的な態度が引っかかる。全ての方がそうだとは言わないが、どうも警察官というのは親しみが持てない。なぜああいう態度をとるのだろう。もっと積極的に市民の中に溶け込んでいくべきだと思うのだが…。あれではますます市民の反感をかうだけ。時には警察だって市民の協力を要請することも有るだろうし、警察官といえども職務を離れればただの人。中には世間からひんしゅくを買うような悪事を働く人もいる。ただの人ならあり得ることである。しかし、国民から日頃の反感を買っているが為に、この時とばかり責められる。この辺で考えを改めてもらいたいものである。

1985年10月11日

78%の編集室が仁藤に腰を据えてから、もう4年が過ぎた。そして私が掛川と関わりをもってからも7年になる。ところがどうも仁藤の大獅子とは縁が無いらしく、大獅子が舞っている所を間近に見たことがない。
最初の大祭りの時は仕事(かな?)で、御殿場に行かされ、次は水害で中止。今年こそはと思っていたら、9日の日は仁藤で火災があったために中止。「明日があるさ」と、翌日の10日は市でもらってきたプログラムの時刻表通りにお祭り広場に出かけてみれば、「今日は早めにやったもんでもう終わった」ときた。しかし、「今夜、けんみんテレビが、天然寺の境内で中継をやるで、くればいいじゃん」10時半頃だと言うので、夜10時20分頃いそいそと出かけて行った。ところがところがである。大獅子の頭をバックにみんな並んでいただけである。大獅子の舞は昼間に撮影済みであった。なんてことだっ!仕方が無いのでテレビ中継している現場を見て帰った。「明日は千秋楽だもんで、祭りの最後にここの前で派手にやるで、その時に見ればいい」と言われて、11日の最後のチャンスを待った。
祭りの最後と聞いたので、夜8時半頃に窓を開けて下を覗いたら、うまい具合に仁藤の屋台が通りかかった。そして、ずうっと先の方(笠屋町の入口辺り)で、獅子の舞う姿が見える。いよいよと思って外に出てみれば、先ほど見えた獅子の姿がない。その内帰ってくるだろうと、待つこと30分。どうもおかしい。通りがかった知り合いの人に聞いたら「それなら6時にやったもんで、もう出ないよ」先の方に見えたのは道神町へ帰っていく小獅子だったんだ。ガ〜ンッ!6年間も待ち続けたのに…。

1985年10月17日

昨日の20何年ぶりかのタイガース優勝で、巷は大変な騒ぎよう。大阪の飲食店では、5日間飲み食いがタダという店まで現れ、ある文化人は「タイガースの優勝で、豊田商事、グリコ・森永事件も帳消しだ。」と言ったとか。本気に取れば、何か一言言いたい人も出て来るだろうが、文化人と呼ばれる人も意外に単純な精神構造だと思ったら、親しみがわいてきた。
1985年 Vol.69
1985年11月3日

午前3時、仁藤の奥姫橋の所で車から降りて橋の下を覗いたら、偶然にもタヌキがいて、お互いにじっと見つめ合ってしまった。するともう一匹がやってきて、二匹でこちらの様子を覗っている。タヌキもついにこんな街中にまでやって来る様になってしまったのか。人間様の残飯を食べて「もう山へは戻りたくない」というところだろうか。一度人里に下りてくると山へは戻らなくなってしまうという。おかげでタヌキの交通事故が増えてしまったようだ。悪いことは言わないから、早く山にお帰り。

1985年11月12日

トイレに入ると、トイレットペーパーの先が三角に折ってあるのをよく見かける。なぜこんなことをするのだろうか。やっている本人は後から入った人が取り出しやすい様にという心づもりでやっていることだとは思うが、全く無意味な所作である。中には三角に折ってから出るのがエチケットだと主張する人もいる。三角に折るのが流行出したのは10年前ぐらいであった。なぜこんなことが浸透しだしたのか不思議な思いを抱いていたが、ようやくこの謎が解けた。大きなビルやデパートの建物の中にはトイレがいくつもある。清掃する人達が掃除をしたという目印に、トイレットペーパーの端を三角に折ったのが発端だそうで、次に行ったときそのままの状態になっていれば、そのトイレは使用されていないという目印にもなる。未使用の場合は清掃しないでそのまま引き返してくるそうです。言ってみれば清掃する人達にとっては迷惑この上ない所作となるわけです。清掃をする人達のことを考えると、止めた方がよさそうですね。

1985年11月15日

戦争中は「どこを攻撃」「次はここを占領した」と、勝っていることだけ報道された。日本が負けそうになっていても、言論封殺で決して「日本は負けそうだ」とは言えなかったそうである。言えばすぐに憲兵に連れていかれるからである。それがここにきて、また繰り返されようとしている。
今、国家機密法案というのが国会で取り上げられ議論を呼んでいるが、これはスパイ防止に名を借りて、国民の知る権利、言論の自由を死刑や無期懲役をもって封ずる法案で、これがもし制定されたなら恐ろしい事になることを私たち国民は知るべきであるし、また断固として反対しなければならない。
例えば、国家機密と知らずになにげなく話しただけでも重い刑に処せられるという。もちろん報道は全くされないから、国民は国がどういう方向に進んで行くのかも全く判らないいわけだから、「私には関係ないわ」などと言っていられない。「スパイ防止制定促進に関する請願」(国家機密法案を賛成する)を提出した地方議会で、「これは危険だ」と気がついて、一転反対を唱える市町村がかなり増えているという。いずれも、保守系が圧倒的に強いところばかりだそうで、掛川の議会がどう決議を出したのかは知るよしもないが、もし賛成したのなら、もう一度じっくりと考え直してもらいたい。市長も含めて、市議会議員と言えば殆どの方が戦争の体験者である。ところがこの方々は、市の発展のところばかりに目を向け、誰も戦争の恐ろしさを語り継いではくれない。もっと平和について、真剣に話し合ってもいいのではないかと思う。
1986年 Vol.70
1985年11月29日

最近、温泉ブームとかでいままで見向きもしなかったような若い女性が、温泉地目指して旅行に行く。書店には温泉ガイドの本が並び、テレビでも「秘境○○温泉を訪ねて」というような番組が増えている。テレビで紹介されたら最後、秘境でも何でもなくなってしまう。それにしても露天風呂は気持ちがいいが、なぜか混浴ばかりで男性に占領されっぱなし。それでもこの温泉ブームのおかげで、女性専用の露天風呂を設ける所も出てきてこれからが楽しみである。掛川の倉真温泉や法泉寺温泉にも女性専用の檜風呂とか岩風呂の露天風呂でも出来てくれたら、わざわざ遠方に足を運ぶ必要もないのにね。

1985年12月9日

二日前にお会いした歌手の長谷川きよしさんは、盲目ということで「愛は地球を救う」のチャリティ番組にも出演したことがあるそうだが、「お金は無いよりあった方がいいですよ。だけど愛は地球を救うとか言っているけど『いくら集まりました』とか言っているだけで、障害者の現状とか内容などの本質的な問題には触れず、表面を通り過ぎてるだけ。」と言っていた。
お金を出せばいいことをしたと勘違いしている人が多すぎる。掛川でも今年も例によって歳末助け合い運動と称して、一戸あたり最低150円の寄付が半ば強制的に行われた。千円以上募金に協力した人は「社協かけがわ」で発表もしてくれるのだそうである。たかが150円の問題であるが、この150円が投げかける問題はとても大きいと思った。たった150円をケチッたと陰口をたたかれるかもしれないが、私はこの小さな抵抗を今年も実施した。
お互いに助け合っていくことはすごく大事だと思うし、そういう気持ちは大事にしていきたいと思う。だけど、ちょっとおかしいんじゃないか。私たちは毎月高い税金を払っているのだし、実際に集められたお金がどういう基準で支払われているのか、大いに疑問の残るところでもある。
以前聞いた話では障害児のいるお宅で「今のところお金に困っている訳ではないし、このお金はもっと困っているお宅に回して下さい。」と断ったところ、「もらってくれないと困る。」と、強引に置いていったという。そのお宅は私たちよりも年間所得がずっと上のお金のある家である。「高い医療費を負担して貰っている関係上、強引に返して医療費まで打ち切られると困るので、それ以上は拒めなかったけど、どう考えてもおかしい。」と言っていた。
現在の福祉は一定の基準に達すれば、所得に関係なく支払われ、基準に当てはまらなければ、本当に困っている家には支払われないという矛盾はないだろうか。
もっと矛盾を感じるのは官公庁の税金の使い方である。毎年部署ごとに一年間の予算が組み込まれるが、年度末に予算が余りそうになると、必要のないものまで発注して無理して使い切ってしまう。そうしないと来年度の予算が削られてしまうからだそうで、これは職員一人一人の問題では無く、官公庁の体質自体に問題がある。余ったお金を不足している部署に回すなり、来年度に回すなりして、もっと税金を生かした使い方をしてもらいたい。福祉の問題も新幹線の寄付問題も、国民は税金を払うことで十分義務を果たしているのだから、これからはその税金の使い途を監視することと、精神面での助け合いに目を向けていってほしいと思う。
1986年 Vol.71
1986年1月4日

毎年、お正月だけは連休を取って思いっきり羽を伸ばすことにしている。昨年も12月31日までびっしり働いたので、そのくらいは許して貰う。ところが、5日まで休むつもりでいたのが、今日仕事が入ってしまったので、結局3日間だけになってしまった。いつもなら撮影を兼ねた旅行に行くのだが、今年はのんびりと寝正月。2日の日だけは夕方から夜にかけて大掃除。床のワックスがけまでしてしまった。何も夕方からやらなくても良さそうなものだが、4時まで寝ていたのだから仕方ない。昼間寝て夜活動する生活に慣れきってしまったこの身体は、正月だからといっておいそれとは直らない。テレビの深夜放送は、連日映画が朝方まで放映されているので、ちっとも退屈しない。ただより高い物は無いと言うが、テレビ映画に関して言えば全く当てはまらない。なんたって入場料を取られないんだから、いくら見ても自分の腹は痛まない。今夜もいい映画があるので早く帰るつもり。しかし、休みも4日目になると、そろそろ貧乏根性が顔を出す。「こんな自堕落な生活をしていていいんだろうか」という思いが時々胸をかすめる。これは毎年のことである。旅に出ても1日目はいい。2日目は「帰ったらあの仕事をやらなければ…」とちょっぴり仕事のことが頭に浮かぶが、まだいい。3日目になると仕事のことがかなりウエートを占めてくるが、まだ帰りたくないと思う。(だいたいこの辺になると帰ってくる)4日目に入ったら最悪である。これでは旅もつまらない。今年はこの貧乏根性を抹殺したい。

1986年1月8日

ここに、昨年市内の或るラーメン店で起こったケンカの場面を再現してみます。3人組が警察の悪口を言っていると、そばでニラミをきかしている酔ったひとりの男性に、3人組「あんた警察の人?」男「そうだ。てめえら表に出ろっ!」ということでその内つかみ合いのケンカとなり、酔っている男が3人組のひとりの胸倉をつかみ、一生懸命蹴りを入れようとするのだが、酔っているせいかなかなかうまくいかない。そのうちに「オ、オ、俺は30だ!(年齢のこと)」と、突然言い出す。「それがどうしただあ?」という3人組に向かって次に男が吐いた言葉は「俺は材木屋だ!」そこで3人組のひとりが「おっ、おもしろいじゃないか、俺だって材木屋だっ!」それを聞いた男は一瞬怯む様子を見せたが、再び「俺は○○組の○○を知っているぞ!」と、ヤクザの名前を出す。それでも3人組が怯える様子も無いので、最後に出した切り札は「戸塚進也も知っているぞっ!」だった。…特別意味も無いが、3人組のひとりから聞いた話を基に再現してみた。

1986年1月17日

今日は風の強い日であった。磐田市内を車で走っていると、前からトレンチコートを着込んだ30歳前後の男性が歩いてくる。ふと見ると、顔の左側の方に馬の尻尾のような髪が見える、てっきり縛っているのかと思った。しかし、その瞬間、手でその馬の尻尾のようなものを、パッと右側にたぐり寄せた。すると、それがキッチリと収まるではないですか。(収まったところは中曽根首相の頭を思い出していただきたい)左側に生えている髪の毛を、いかにも右側に生えているように見せてしまうのだから、凄い。いっそ坊主にしてしまえば楽だと思うのですが、男性もいろいろ苦労してますね。しかし、風の強い日には要注意です。