掛川タウン誌
78%KAKEGAWAの発行人のやなせかずこが取材や仕事を通じて思うがままに書き綴った日記。
1985年 Vol.64
1985年6月12日

夜のヒットスタジオに掛川出身の鈴木徹君が所属しているバンドLOOKが初出場した。何年ぶりかで夜のヒットスタジオを見たのですが、なぜか見ているこちらが緊張してしまった。本人はなかなか堂々としていたが、身近にいた人だけに、ついよけいな心配をしてしまう。多分、家族の方もかなり緊張してテレビを見られたのではないでしょうか。嬉しさ半分、心配が半分で、かなり複雑な心境だったことでしょう。徹君のこれからの活躍、大いに期待しています。

1985年6月14日

我が家のシロ(雑種犬)は現在14才。人間で言えば相当なおばあちゃんだ。「バカッ!」とか「ダメッ!」なんて怒ろうものなら、スネて部屋の隅っこに寝転び、こちらがいくら呼んでも知らんぷり。尾も振らない。ところが、人畜無害の非常におとなしい犬のせいか、子ども達の人気者。格別じゃれたりして相手をするわけでもないのに…むしろ嫌そうに逃げ回っている。ところがつい最近、雷が鳴ったとき以外は2階へ上がってくることがないのに、やたらと2階へ上がってきて、ドアをガリガリやる。(たぶんノックしているつもり)2階にいても、落ち着きがなくウロウロするので、地震の前触れかと心配した。その内、近所を徘徊するようになって、いよいよボケの始まりかと次の心配をし、首に連絡先を書いた札をぶら下げたが、最近は元に戻ったようである。犬も人間と同じ様にボケるんでしょうか?

1985年6月17日

先月号の編集雑記で、室温の高い部屋に一ヶ月以上置いた甘夏が、未だに何ともないと書いたが、その後一ヶ月も経つのに、やっぱり何ともないのです。多分、水分が抜けたかなと感じる程度で、食べようと思えば十分食べられることが出来るように思えます。でも、有吉佐和子著「複合汚染」を読んだ後ではとても食べる気になりません。最終的にどうなっていくのか、最後まで見届けてやろうと思っています。
今までも合成保存料や防腐剤、その他の添加物、農薬などに関することに多少の関心は持つようになってきてはいたのですが、複合汚染を読んでからは、益々神経過敏になってきました。最近の食品には、やたらと添加物が入っていて、入っていないのを探す方が大変なくらい。野菜にしても、農薬がいっぱいかかっています。農薬で自殺する人が多くいるのを知らない人は少ないと思うんですが、そんな危険な物を毎日口に入れているんですね、私たちは…。時々、農家の人達に聞くのですが、自分達の食べるものは別に作っていて、それには農薬をかけないという家が多いんです。多分、農薬の危険性を一番知っているからだと思うのです。
では、何故農家の人達が農薬をかけるのかというと、国で基準を作ってしまったからです。見た目の良いを作らないと、高く売れないからです。消費者自身も、日持ちが良くて、見た目の良い物を好んで買うからです。しかし、最近は消費者の考え方もだいぶ変わってきて、全国至る処で、自然農法で作られた野菜を求める声が強くなってきました。非常にいい傾向だと思います。消費者だけでなく、生産者自身も考えを変えていって欲しいものです。大体が、合成保存料などの添加物の表示は裏面に小さく控えめに表示してあるのに、添加物の使用していない物については、大きな文字で「添加物は一切使用していません」と表示してあるのを見ても、添加物が決して身体に無害な物だとは思えませんよね。
1985年 Vol.65
1985年7月1日

昨夜からの台風6号が過ぎ去った後は久々の快晴で、自宅のゆワイターも久しぶりに熱くなりそうだ。それにしても、台風の過ぎ去った後はなぜこんなにも山がくっきりときれいに見えるのだろうか。掛川周辺の山々も木々の緑が鮮やかに目に映る。最近、山に取り憑かれているせいか、思わず見とれてしまった。2、3年前までは山に全くといっていいほど興味が無かった。山へ登るといったら、せいぜい山菜採りくらいのもので、一般に裏山といわれる低い山である。ところがどうしたことか、最近は山を見ていると、とても気持ちが落ち着く。体力と時間さえあれば八ヶ岳や穂高あたりの山を登ってみたいと思うが、いくら時間があっても、今の体力ではとても無理だということがわかっているので、悔しくてたまらない。私の場合山に魅せられているというより、「自然」に対する意識が強くなっているのかもしれない。
造成で山が削り取られていったり、乱開発で自然が破壊されていくのを見る度に、本当にこれでいいのだろうかと疑問に感じる。自然を残しながら開発しようという発想は全く無く、細切れにした土地を無駄なく売り尽くそうという商魂だけが見えてくる。普段、自然と接しない人々は毎日が無味乾燥した味気ない生活を送っているのではないだろうか。お酒を飲んでも決して心は癒やされないし、どんなに楽しい遊びでもいつかは飽きがくる。嫌なことがあると海を眺めに行く人もいるし、一人傷心の旅に出る人もいる。傷心の旅に行くのにわざわざ騒々しい所を選ぶ人も少ないだろう。殆どの人が人気の無い静かな場所を求めていく。人間が最終的に救いを求めるのは自然なのではないだろうか。

1985年7月10日

私がこれだけはやめてもらいたいなと思うことの中に「男性の立小便」がある。往来の激しい道路だろうが、他人の塀だろうが、玄関口だろうが平気で立小便をする男性がいる。女性から見れば目のやり場に困るし、どう考えても「キタナイ」という発想しか思いつかない。先日も仕事の帰りに信号機の手前に牛乳配達の車が止まっていて、その横の家の前に男の人が立っていたので、てっきり牛乳を配達しているのかと思った。ところが、どうも仕草がおかしい。車を止めたら案の定、立小便をしていた。私の車のすぐ左前だったので、本当に目のやり場に困ってしまった。しかも、あの手で牛乳を配達されるのかと思ったらゾングリした。昼間なんかだと、オシッコが飛んでいるところまで目に入ってイヤイヤする。生理現象とはいえ、近いはずの女性ですらガマンしているのだから、男性だってガマンできるはず。どうしてもガマン出来ないときは、人目を忍ぶ様な場所を選んでもらいたいものである。

1985年7月13日

マムシは日本の本土に住む最強の毒蛇だそうだが、このマムシ、強壮剤として食用にもなり、ケッコウ旨いんだそうです。聞いた話では、捕まえたマムシをその場で皮を剥ぎ、半日干しただけで、そのままムシャムシャ食べてしまう人がいると聞いてビックリ。干したマムシを焼いて醤油をつけると、これがなかなかの美味だそうで、私にも「少し食べて見ろ」と言われたが、いくら美味でも遠慮した。

1985年 Vol.66
1985年8月12日

まったく今日みたいな日は、たまんなく憂鬱になる。雨は思い出したように降るし、その度に窓を閉める。ムッとした暑さと気だるさが全身を覆う。こんな日に限って暗いニュースが続くのだ。福島では震度4の地震が発生し、全国各地に津波注意報が出された。幸い地震も津波も大事に至らなかったようであるが、各地の海水浴場では津波注意報が出された直後に、海水浴客に「すぐに海から上がるように」と呼びかけたが、全く無視して泳いでいた海水浴場がたくさんあったという。こういう場合でも、被害が出れば誘導の仕方が悪かったと非難されるのだろう。
また、夕方には掛川バイパスの西郷インターの所で、トラックとバイクの衝突事故があったという。たまたまその事故を目撃したという男性がやってきて「バイクに乗っていた人の首のあたりから血がドクドク流れていてもうピクリともしなかった。よくフォーカスなんかに載っているような場面。実際に見ると気持ち悪くなって見ていられない」(と言いつつしっかり見てきたんだから…)私自身はまだ一度もそういう場面に遭遇したことがないが、多分腰が抜けてしまうんではないかと思う。交通事故は加害者も被害者も、どちらも気の毒である。車を運転している身としては、いつ加害者の立場に置かれるかわからない。車を甘く見てはいけないとつくづく思う。
続いて午後7時頃、524名の乗員乗客が乗った日航ジャンボ航空機墜落事故のニュース。その中には歌手の坂本九さんも乗っているらしい。テレビに映し出された九さんの笑い顔を見ていたら「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように…」という一時期大流行した歌が聞こえてくるようだった。また、乗客の中に夏休みを利用して一人旅をしていた小学生もいたという。無事に帰っていたなら、夏休みのいい想い出として残っただろうに。飛行機の中がどんな状態だったのか想像もつかないが、一人ぽっちでさぞ心細かったことだろう。

1985年8月16日

最近の若者はひとつの組織(団体)に縛られるのを嫌う傾向にある。私の場合、若者とは到底言いがたいが、やっぱり嫌いだ。もちろん束縛されるのもイヤだけど、自分の生き方は自分自身で見つけていきたいと思っているからだ。上から一方的に考えを押しつけられるのはたまらないし、フリーの立場で周囲を見回すと、意外に冷静な目で物事が判断できる。特に、既成概念にとらわれずに、ちょっとひねくれた見方をしてみると、全く違った側面が見えてくることに気がついた。しかし、一般的に若者が嫌う理由はただ単に「おもしろくない」からだ。昔と変わらぬやり方では、もう若者は振り向かない。青年団の団員が年々減少傾向にあるのも、そんな所に原因があるのではないだろうか。私も誘われて入団したことがあるが、1〜2ヶ月でやめてしまった。全くつまらなかった。青年団の会合や行事などに行けば行くほどシラけてしまう。今の若者を称して「シラケの世代」という言葉がよく使われるが、シラケてしまうのも無理のない話である。世の中がめまぐるしく変わっている中で、時代に遅れたやり方をしていたのでは、ついてくる者はいなくなってしまう。商店街を見ていてもつくづくそう思う。何十年も前から同じ様な企画を飽きもせず繰り返しているが、もうこの辺で脱皮してもいい頃だと思うのですが…。

1985年 Vol.67
1985年9月2日

8月、9月は台風シーズンと言われているけれど、もう何年も心臓がどきどきする様な台風に遭遇したことがない。台風と言えばやはり暴風雨というイメージが強く、昭和57年(1982年)9月12日の台風18号の時は、風についての記憶は全く無く、雨だけが激しく降っていたように記憶する。最近は殆どの家がアルミサッシの窓で、少々の風ぐらいではびくともしないから、それで感じなかったのか。昔は隙間だらけの家が多かったから、家の中にまで風が入ってきて天井が抜けてしまうんではないかという不安があった。台風が上陸するといえば窓や玄関は板で打ち付けられ、強風をまともに受ける戸は、一家総出で中から戸を押さえ、台風の過ぎるのを待ったものである。学校は早く終わるし、非常食を買い込んだりして、子ども心に結構楽しんでいた節もある。地震や火事と違って事前にわかっているし、大水で河川が氾濫したり土砂崩れが起きない限り、被害も小さいからまだ安心感がある。浜松に住んでいた時には初めて「嵐の前の静けさ」という状態を知った。台風が上陸しているというのに、全くの無風状態で、太陽まで顔を覗かせた。「台風の目の中にいる」と聞かされても、ちょっと信じられなかった。それから徐々に風が出てきて、夜は大変な騒ぎであった。台風の過ぎ去った後には、瓦やら看板、トタン、バケツに至まで散乱していたが、近頃そんな風景もあまり見かけなくなった。暴風を伴った大きな台風が上陸していないからだろうか、それとも建造物の風に対する抵抗力がついたのか、どちらにしても自然に対する心構えが年々薄れていくようである。これはやっぱり喜ばしいことなんでしょうね。

1985年9月7日

先日、旧ヒラキ駐車場で知人が78%事務所(2階)の下の横辺りを指して「大っきい亀が居る」というので、そうっと覗いて見たら、甲羅が少し欠けているが、見事に大きな亀が居た。首も手足も引っ込めたまま身動きひとつしない。事務所に持ち帰って水の中に入れてあげたら、途端に元気が出てきた。エサをやらなければと思い、とりあえずイカの燻製などを与えてみたが、やっぱり普段食べ慣れていないせいか、全く受け付けない。亀の食べ物の好みなどわからないし、ここは自然に返してあげるのが一番と、知人に頼んで池に放してもらうことにした。ところが今日は同じ場所でヘビの子どもを見つけた。長さ25センチぐらいの本当に小さくて可愛らしいヘビである。どうやら死んでいるようでピクリともしない。私はヘビとネズミだけはいくら死んでいても可愛くても、素手では触れない。そのまま2、3歩進んだら、黒くて長いものが2本落ちていたのでてっきりこちらもヘビの子どもと思って顔面蒼白、心臓どきどき。宵の口でよく見えなかったので、急いで事務所に戻って編集長を連れてきたら、どうやら一匹だけだった。編集長がヘビを持ち帰って机の上に置いておいたら、Y子さんが「死んでいるヘビなら平気」と、素手でつかんで、矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)していつまでも眺めていた。Y子さんが帰った後でT君がやってきて「やなせさん、このヘビ動いているよ」と言うので、よ〜く見たら確かに頭の辺りがクネクネ動いている。「そういえばさっきから真っ直ぐにしておいてもいつの間にか動いていた」と編集長。その後は動いた様子がなかったので、やはり死んでいたのだろう!?ヘビは死んでも動くのだろうか。