掛川タウン誌
78%KAKEGAWAの発行人のやなせかずこが取材や仕事を通じて思うがままに書き綴った日記。
1984年 Vol.48
1984年2月2日

午前3時30分頃、外が何やら騒々しい。赤い物がチカチカ。二階の窓から外を覗くと、消防自動車が2台とパトカーが1台が目の前に停まっている。
何事だろう?と聞き耳を立てれば「こっちの方から漏れている」「ここが臭うようだ」「ここは元栓がないんですよ」とか、物騒な話が飛び交っている。どうもガスが漏れているらしい。(都市ガスだから、もし同じ管で結ばれていたら、うちの事務所も危ないんだろうか?非常事態になったら何を持って逃げようか…)いろいろと考えを巡らせてみても何を持ち出したらいいかわからない。欲が深いからみんな持って出たい心境です。
外の方では、まだガス漏れの箇所が見つからなくて、道路を挟んで西側の青野時計店と疋田医院の前をうろうろ。そのうちに事務所前のユミヤの方にもやってきた。
「これはますます危ないぞ!」と、外と事務所の中を行ったり来たり。結局はうろうろするばかりで、自宅にも帰れない。4時半頃、ようやく漏れている箇所が見つかって一件落着。これで安心して帰れます。おやすみなさい。

1984年2月3日

昨日のガス漏れは通行人の通報でわかったそうです。夜中の3時頃、たまたま通った人がいたからよかったものの、知らずにいたら「ドッカーンッ」で、大事故になっていたかもしれませんね。ホントよかったです。

1984年2月10日

列車の音を後ろ手に聞きながら東海道線の線路脇の道を走る。なぜかこの列車の「ゴト、ゴト」と言う音が懐かしく心に響いてくるのです。いろんな想い出がいっぱい詰め込まれているみたいで大好きです。私の生まれ育った豊川市には長野県の飯田まで走っている飯田線があります。(よく線路沿いに歩いて遠くまで遊びに行ったなぁ)そんなことを思い浮かべてふっと横を見ると列車の窓には障子がずらり。「ウン?なんだこれは…」何両あったのかわからないけど、全部同じ。これが世に言うお座敷列車なんですね。実際に見たのは初めてでしたが、列車の旅も楽しそう。

1984年2月11日

世間では「ちゃっぷい、ちゃっぷい」という言葉が流行っているそうですが、本当に寒い日が続きますね。先日の6日から7日にかけての寒さで、自宅のガスのボイラーが凍ってしまいました。修理をすれば一週間以上もかかると言われ、結局新品に。その後も3〜4日の間に凍結する家が続出。製品が間に合わなくて新品に取り替えるにも一週間以上かかるのだそうです。(修理なんてどんどん後回しにされて、いつになることやら…)取り替えたばかりで、また駄目にしてしまった家もあるとの事。20万円前後もする器具だから大変だ。今年の冬は身体ばかりか、財布の中もちゃっぷい、ちゃっぷい。ブルブル…。あ〜寒い!

1984年 Vol.49
1984年2月27日

中3の女子が「学校内は地獄だ。頭は男子は丸坊主、女子は前髪がまゆ毛についたらいけない、うしろは肩についてはいけない。マフラーはダメ、手袋は白・黒・青の3色、コートのエリをたててはダメ、かくしボタンのコートはダメ、無言清掃、廊下で歌ってはダメ、学校に来たらすぐジャージに着替える。絵付きノートはダメ、スターの写真の下敷きはダメ、もう何をやってもダメ、ダメの一言。よくこんな学校にいられると自分でも感心している。とにかく、私は“校内暴力”に賛成…とまではいかないけど、学校に“事件”があってもいいと思う。優秀な者ばかり集まって、毎日毎日同じ事をしているなんて、考えただけでゾッとするもん。」と、ある雑誌の中で言っている。その雑誌には、現在の学校は収容所型飼育教室だと指摘している。もし、この中3の女の子が言っていることが実態としたら、確かに収容所型飼育教室という言葉が当てはまる。なぜここまでする必要があるのだろうか?こんな小さな事でも規則に従わなければ非行と呼ばれるのだろう。大人達は、少しはみ出したことをすれば、全てを非行と決めつけてしまう。それなら大人達は非行じゃないのかと言いたくなる。不景気なときでもピンク産業だけは全盛の時代である。性に関して言えば大人達の間でも乱れに乱れているのである。そんな中で育った子ども達が性に対して関心や興味を持っていくのは当然すぎるほど当然だと思う。テレビ、ラジオ、雑誌からはファッションや新製品がこれ見よがしに次々に紹介されていく。ついていけない者には「ナウくない」「遅れている」という様な言葉がポンポン投げられる。まるで、世の中の動きと学校の規制との挟み撃ちである。今、子どもが受けている規制を、私たち大人達も同じように受けたらどうなるか?かの落合恵子さんも言っています。「もしも自分がそうさせられたら…全く単純な“もしも”さえ想像できない大人達も、管理を強化する時だけは『もし、お宅のお子さんが非行に走ったら』『もし、校内暴力の加害者(被害者)になったら』という『もしも』を錦の御旗に掲げるのである。」と。規制していくこと自体が非行を産んでいるとしたら、大人達が考えを改めていくべきである。

1984年3月1日

最近、どういうわけか“たぬき”をよく見かける。28日にまるまると肥えた2匹のたぬきが、仲良く走って行くのを見たと思ったら、翌29日にも自宅付近の民家の側で見た。小さい頃は、たぬきと言えば民話の世界のたぬきしか知らなかった。たぬきがこんなに身近な動物になってくると、化けて人を騙したりする民話の世界も薄れてくる。きつねより化かすのが一枚上手だと言うが、まるまると肥えて愛嬌のある顔からは、人を騙すなど想像もできない。だが、たぬきよりも人間の方がずっと化けるのも騙すのもうまそうだ。さて、たぬきがでたついでに、猫を食べてしまう恐ろし〜いカラスの話を…。去年だったか、居尻の方へ取材に行ったとき、ガードのかなり下の草むらで2〜3羽のカラスが一匹の猫を狙って、突っついていた。傷ついた猫は怯えながら逃げてはいるものの、獲物を狙ったカラスの鋭い嘴は執拗に追い続ける。私は恐ろしくてクラクションを鳴らして追い払ってやることくらいしか出来なかったが、カラスはクラクションの音ぐらいではビクともしない。

1984年 Vol.50
1984年4月2日

4月10日に掛川で大相撲が行われる。前宣伝のための旗だと思うのですが、掛川駅前の空き地に○○関と書かれた旗が何本か立っている。よ〜く見ると旗の下の部分に「伊豆○○温泉」などと書かれている。(使い回し?!)「ようこそ、伊豆○○温泉へ」なんて書かれてなくてよかった…。

1984年4月5日

我が家は築後まだ7年というのに、雨が降るとベランダから流れ落ちる雨水で一階の廊下はビショビショ。雨戸の戸袋は風が吹く度にバタバタ音がする。雨樋も修理すること再三。ところが、施行を依頼した所に修理を頼んでも一向に来てくれない。仕方なく他に頼んで、この度大修理をすることに相成った。大工さん一言「こりゃあひどいや。こんなやり方じゃあすぐ傷むわけだ」雨戸の戸袋は室内用の新建材、ベランダは手抜きもいいとこ、最近の何とか住宅というのは見た目はいいけど、手抜き工事は平気でするし、建ててしまえば後は知らんぷりというのが多いそうだ。やはり、昔ながらの大工と呼ばれる人達にはかなわない。家を新築するときは、築後10年位経っている家を訪問して。よ〜く検討する必要があります。

1984年4月7日

最近、78%を出版する事にとても疑問を感じる時があります。何の為に出しているんだろうか…と。私たちがこの雑誌を出版する目的は、もちろん利益を上げるためではない。みんなが少しずつ何かを感じとって、いろんなことを考えていってくれたらいいな、ただの情報紙で終わりたくない、そんな気持ちでいつも取り組んできたつもり…。こんな小さな街だからと、あまり無理をせず、カラー頁も無い、今時珍しい貴重なタウン誌を編集してきました。それでも、「78%は他のタウン誌とは違う」という声も度々聞かれ、次の発行日を楽しみに待っていてくださる読者もだいぶ増えました。あまり広告が増えると中身が薄くなると、ここ3年間は積極的な営業もやめ、範囲も掛川市内に絞ってきました。だけど、何時も一方通行なのです。ハガキはいっぱい来ても、肝心な記事に対する反応が返ってこないのです。「今月の特集はよかったですね」これだけなんです。淋しいですね。「私もこう思う」「この考えは間違っているんじゃないか」そんな反論や共鳴の声がないんです。一人や二人で書く記事には限界があります。他の仕事をやりながら毎月50頁からの記事を編集するのは大変な仕事なのです。本当は読者が作っていく雑誌にしたかったんですが、少し考えが甘かったようですな。「少し充電期間をおいたらどうだろうか」と助言して下さる方もいます。だけど、多分休んだら二度と出版できないでしょう。今日もジレンマに悩まされながら原稿を書き続けています。

1984年4月8日

今日は掛川茶まつりが行われ、久々に街は賑わいを見せている。掛川茶まつりの日には必ず雨が降ると言われているジンクスも昨年から崩れ始めて、今年も小春日和の良いお天気に恵まれた。掛川公園の桜もこの日のために必死に咲いてくれたのか、2〜3日前までは葉だけだったのが、五分咲きの花をつけてくれた。すっかり春らしくなったこの頃です。私と言えば最近流行の鼻炎で、クシャミが止まりません。
1984年 Vol.51
1984年4月29日

一ヶ月程前に危険物置場で捨ててあるストーブを見つけた。早速事務所に持ち帰ると、アラジンのストーブだった。ちょっと汚れていたけど、周りと芯を掃除したらまだ十分使える代物。アラジンの石油ストーブは完全燃焼するので炎が青い。編集長なんか大喜びで、事務所に尋ねてくる友人に自慢げに見せている。(私が拾ってきたんだぞ!)みんなうらやましがって「俺もほしい」と言う。何人かに頼まれているんだけど、もし捨てようと思っている人がおりましたら、ぜひ仁藤と連雀の境、神代地川の橋の所に捨てて下さい。くれぐれもよろしくお願い致します。ちなみに、一年前には工具箱とカセットテープを拾いましたテープは今取材用に使わせてもらっています。

1984年5月5日

私たちが78%を編集する時に、一番困るのが昔の資料や写真が揃っていないこと。誰に聞いてよいのか皆目見当がつかないような時もある。それでも4年間もやっていると、これは誰、あれは誰に聞けばいいと、大体のことはわかるようになった。そんな中で、連茶先生でおなじみの戸塚廉氏や、十王町の伊藤祥蔵氏(伊東四朗さんのお兄さん)は、駆け込み寺みたいな存在となっている。連茶先生の所には膨大な資料や写真が残っているし、伊藤さんの記憶力には頭が下がるばかり。何十年も前の芝居の台詞までかなり正確に覚えている。人間の脳細胞というのは140億個もあって、殆どの人は一生に10%位しか使わないそうだ。(30%も使えば博士になれる)20才を過ぎると一日10万個ずつ死んでいくそうです。頭を使わないと、どんどん死んでいって、残り少なくなると老化現象が起きます。人の悪口を言ったり、グチッぽくなるのも老化現象なのだそうです。嫁と姑の問題もこんな所に関係があるそうですから、日頃の頭の使い方次第でトラブルも防げます。女性の方、三食昼寝つきなんて言ってないで大いに頭を使って下さい。

1984年5月13日

「ギリシャの都市国家の間で1200年近くも続いた古代オリンピックは、勝者に法外な賞金や賞品を与えるようになって堕落し、やがて強大なローマ帝国につぶされた。歴史は繰り返す。聖火リレーまでも切り売りするほどの商業主義で、本来の純粋さを失いつつある近代五輪も、いまや超大国の強引な政治の前でひねり潰されかけている。」という朝日新聞の記事を見つけた。以前、聖火リレーの参加者を、ある大手企業が募集している記事だったか広告を見た。確か一人当たり70万円(だったと思う)の費用を企業が負担するということで、全国から参加者を募ったようである。それを見たとき、こんな馬鹿なことってあるのかなあと、無性に腹が立った。何でもかんでも商売に結びつける商業主義にはうんざりする。もしもオリンピックを商業と結びつけるのなら、選手だってプロもアマもないはずだと私は思う。そんなことなら徹底的に商業主義に徹すればいい。本来のオリンピックの目的は、全地球の友好と平和の祭典である。五輪の故郷ギリシャのオリンピア近くに里帰りし、恒久開催にする計画が検討されているようだが大賛成だ。戦争中でも休戦して、どんな時でも大会が開催でき、そこだけは戦火が及ばないようにする。もっとも戦争なんて絶対にあってはならないものだけど…。