掛川タウン誌
78%KAKEGAWAの発行人のやなせかずこが取材や仕事を通じて思うがままに書き綴った日記。
1983年 Vol.44
1983年9月28日

今日、つま恋へ78%を納品に行った。乗用車は中まで入れないため、指定駐車場からバスで行くつもりであったが、待ち時間があったので歩いて行くことにした。SMCまでの近道の階段を登り始めた。20段位まではトントントンとうまく足が運んでくれたんです。ところが徐々に力が落ち、ついに中間地点でダウン。足が前に進まないんです。息はゼイゼイ、ハアハア。この間までは何とか八合目(?)位まではたどり着けたのに…。まだまだ若いつもりでいたのにア・ゼ・ン。

1983年10月4日

つま恋の一件からショックで立ち直れなかったが、今日から一大決心をして、事務所の階段で足腰を鍛えることにした。往復15回を目標に登ったり降りたり…。8回目くらいになると腰から下がぐっと重くなり、大根足を「よいっしょ」と持ち上げながら、根性でついに15回。10日ほど前に階段ですべって打った尾てい骨が痛い!

1983年10月5日

今日は昨日よりも楽です。階段の上り下りと同時に、近くへ行く時は、出来るだけ歩いて行くことにしました。

1983年10月7日

今日は20回も往復できるようになりました。まだ余裕があります。バンザーイ!みなさん、健康食品ばかり頼らないで、まず体を鍛えることから始めましょう。車は便利で今や手放せないものになってきたけれど、そのお返しに人間の足腰は弱まる一方です。あと20年もしたら一体どうなっちゃうのかと心配で始めたこの運動、意外と長続きしそうです。でも、今は尾てい骨の代わりに筋肉痛で悩まされています。

1983年10月8日

性懲りも無く、祭りの日にもなんなんだ日記を書いています。事務所の前では、時々太鼓の音が鳴り響いています。編集長は「やかましいな」と一人でぶつぶつ文句を言いながら、あっちへ行ったりこっちへ来たり…。二階の窓から覗いては「どこそこの屋台が来たぞ!」「元気ないなあ…」とか、かなり興奮気味である。それにしても、雨のためか太鼓の音も湿っぽい。夕方頃には張り切っていた露天商の人達の顔も曇りがちです。淋しい祭りの始めだけど、せめて道路でも明るくしてあげようと、事務所前に取り付けてある500ワットのライトを点けてあげました。気がついてくれたでしょうか?
1983年 Vol.45
1983年10月25日

ラジオから懐かしい曲が流れた。不思議なことに10何年も前の歌でも一緒に口ずさむことができるんですね。ところが最近の歌ときたら、毎日テレビやラジオ、有線等と至る処から流れていて、しつこい位耳にしているにも関わらず、いくらヒットした歌でもすぐに忘れてしまう。なぜだろう?1〜2年前の歌でも歌手の名前すら覚えていない。興味が無くなったせいでしょうか?それとも、あまりにも次から次へと出てくるので覚えきれないのでしょうか?とにかく、歌に限らず、すべての物事に対して飽き性になっていることは事実です。すぐに飽きてしまうのです。ものが豊かになるってことは、人間(特に私)を飽き性にもさせてしまうようです。

1983年11月6日

事務所へよく遊びに来るカッちゃん(男性)が、猫の子を3匹拾ったといって事務所にやってきた。まだ目が開くか開かないか位の子猫です。親をしたってニャアニャア泣き続ける姿は、人間の子も猫の子も同じ。今年24才になる心優しいカッちゃんは「捨てるなんて無責任すぎる」とカンカンになって怒っていた。
その夜カッちゃんが車で走っていると、道の真ん中に白い段ボール箱が置いてあったそうである。一瞬、中は猫じゃないかなぁと感じたそうだが、その場を去った。しかし、車を走らせていても気になってしかたがなかったと言う。「悪い物を見てしまった」と思いつつも、もう一度引き返して段ボール箱のそばに行くと、見事に予想は的中。猫の鳴き声が聞こえてきた。とてもそのままにしておけないので、拾ってきたというわけ。三毛猫ですが、どなたか大事に育てて下さる方がいましたら、ぜひ引き取って下さい。
ところで、先日もタヌキが車にひかれているのを見つけて、病院に運んだという話が掛川でありました。手術代と入院費用10数万円は自腹を切ったそうです。この人も若い男性です。まだまだ心優しい男性たちがいるので安心しました。

1983年11月10日

今日はハガキが9枚きた。毎日ハガキを読むのを楽しみにしているのですが、今日来た9枚の内5枚は、多分同じ人が書いたものだと思うんです。ほんとうにくだらない内容のハガキで腹が立つ。無意味な投書は止めて下さい。料金受取人払いにしてあるのは、こんなくだらないハガキを出してもらうためにあるのじゃありません!
1984年 Vol.46
1983年11月22日

つま恋でプロパンガスが爆発し14人が死亡、27人が重体というニュースが流れた。一瞬耳を疑った。しかし、ラジオのニュースはひっきりなしに、つま恋のガス爆発を取り上げている。改めてガスの恐ろしさを知って愕然としてしまった。何年か前に静岡の駅ビルでガス爆発があって、何人かの人が亡くなったことがある。補償問題が解決していないために、未だにそのままの状態で放置され、ガス爆発の恐ろしさを生々しく残している。今では私たちの生活の中で切り離すことの出来ないガス。一歩間違えば恐ろしい事故につながる。一人一人が細心の注意を払っていかなければ、これからも何度でも起こりうる事故です。以前、中央町の事務所にいるとき、夜中に酔っ払い(だと思う)に、外に出ている都市ガスのコックをいたずらされたことがある。ちょっとしたいたずらが大きな事故につながることもあるのです。こんないたずらは絶対にやめてほしいものです。

1983年12月7日

ラジオの政見放送(ちなみに日本放送です)を聞いていたら、サラリーマン新党の候補者が「サラリーマンは税金やら保険料で所得の3分の1を持って行かれる。例えば、年間3百万円の所得があれば、その内百万円が所得税、住民税、社会保険、厚生年金などで消えてしまうことになる。東京都民のサラリーマンはこんなにも税金取られているのに、農家の人達が払う税金は6%あまり。新潟ではそこら中の道路が整備され、東京が100%とすれば220%の補助金を国から受けている。これ以上税金を取られたらサラリーマンの生活はいったいどうなるのか?増税された分は軍事費に回されるだけだ」と訴えていた。年末ともなれば街には「何とかチャリティ」とか「何なに募金」とかがあっちこっちで叫ばれ、我々の懐をねらっている。それだけ福祉が充実していないことを物語っているのである。我々の払っている税金はいったいどこに行っているのか、その辺をじっくりと考えてみたい。

1983年12月11日

だいぶ師走らしくなってきたこの頃です。商店でもクリスマスツリーが飾り付けられ、街も少しずつ賑わいを見せ始めてきました。懐が暖かいせいか大きな紙袋をいくつも抱えている人も見かけます。一歩一歩1984年に近づいていくのですね。それにしても今年は、昨年に比べると寒さが厳しいようです。寒さに弱い私は今から不安です。ところで今朝4時頃、雷が鳴りました。こんな真冬に珍しいですね。仕事が終わって自宅で夜食を食べているときでしたが、なんだか不気味でした、家で飼っている犬のシロは雷が大嫌い。雷が鳴り始めた途端に起き出してきて、不安そうな顔をしていました。そして、どういうわけか雷が鳴ると二階に行きたがるのです。老体にむち打ちながら、二階へ上がっていったのでした。

1983年12月12日

事務所のドアをそ〜っと開けて入ってくるなり、事務所の中をキョロキョロ覗き回っているいつも来るお客人。「誰か他にいる?」「いないよ。」「俺、いま大変なもの見ちゃった!」何だと思えば、杉谷にある元の火葬場の跡の近くで「火の玉」を見たとのこと。その後は怪談話をひとしきり。季節外れの怪談物語に花が咲いたのはいいが、なぜかいつまで経っても腰を上げない。帰るときには外の明かりを煌々と点けてあげた。
1984年 Vol.47
1983年12月30日

今年こそは絶対に餅つきに参加しようと、眠い目をこすりながら、いつもより早めに起きる。餅つきのペッタンペッタンという杵の音がなんともいえない懐かしさをさそう。小さい頃は母親の実家に行っては餅つきを楽しんだものである。餅米を蒸かす釜戸に薪を入れることと、つきたての餅を食べるくらいが私の主な仕事ではあったが、当日は親戚中が集まり、まるでお祭り騒ぎ。多くの家では、いつの間にか、杵から機械に替わり、餅米を蒸かす釜戸もガスに替わった。人手がかからなくなった事と、餅つき器が普及してきた事により、次第に親戚中が集まることもなくなってしまった。私の実家でも初めは餅つき器を利用していたが、二、三年前から、どこからか杵と臼を調達してきて、昔ながらの餅つき風景が復活した。外に釜戸を持ってきて、薪で蒸かす。庭には白い煙が立ちこめ、ペッタン、ペッタンという音がいつまでも続く。懐かしい音は甦ったけど、果たして何時まで続くやら…。
さて、1月号でおせち料理を手作りでなんて特集した手前、自分でも今年は挑戦してみようと思う。黒豆、錦玉子、たたきゴボウ、なます、車海老の鬼がら焼き、イカの松笠焼き、カニの菊花巻き等々、今日明日のスケジュールは一杯。暇を見つけて山に行き、飾り付け用にうらじろや笹の葉も用意。これで来年はちょっぴりお正月らしさを味わえるのではないかな。

1984年1月2日

おせち料理で、ちょっぴりお正月らしさを味わってはいるものの、どうにも家でじっとしていられない性格らしい。昨日は元旦早々大掃除などを始めてしまった。それにしても、車で走っていても外で遊んでいる子ども達の姿をまるっきり見かけなかった。一組だけボール投げをして遊んでいる子ども達を見かけただけである。おそらくコタツに入ってテレビでも見ているのであろう。どこかに出かける時も車で移動する。そのうちに、「子どもは風の子」なんていう言葉も消えてしまうのだろうか。

1984年1月12日

昨年の総選挙では「減税を約束します。」と、しきりにPRしていた政府も、選挙が終わった途端に増税を発表。「手のひらを返す」とは、こんな時に使うのだろう。ややっしいやり方をしながら、税金を吊り上げていくのだから、頭のいい(?)人達にはかないません。

1984年1月14日

金城から緑が丘団地に続く道の工事が着々と進められている。通る度に感じているのですが、東海道線と新幹線の上はどうやって橋を架けるのでしょうかねえ?長い間列車をストップさせるわけにもいかないし、車が通る道なんだからそんな簡単に「ポイッ」ってわけにもいかないでしょう?上に橋を架けるときには誰か教えて下さい。この目でしかと確かめて見たいのです。

1984年1月17日

一瞬ではありましたが、にわか雪がチラチラ。雪が珍しい私たちは大喜びです。少しでもいいから積もってほしいと願うのだけれど、なかなか積もってくれない。一方、雪国では何十センチ、何メートルの積雪があったという。雪に閉ざされた生活が始まるんですね。どちらの生活がいいのかわかりませんが、一面が銀世界の風景に憧れてしまうのも事実です。