掛川タウン誌
78%KAKEGAWAの発行人のやなせかずこが取材や仕事を通じて思うがままに書き綴った日記。
1983年 Vol.36
1983年1月25日

今年の風邪は筋肉痛になる人が多く、ついに私もやられたっ!痛いの痛くないのって…。一番大切な腰に来てしまったので歩くに歩けないし、もちろん重い物は持てない、車に乗るにも一苦労。それでも何とか一日も休むことなく出勤したのは良かったが、周囲からは「オバハン」「年寄りくさい」とバカにされ…。痛みと陰口に耐えに耐え抜いた一週間でありました。日頃の運動不足が大いに影響しているようなので、今日からは少しずつ身体を動かそうと固い決意をしたけれど、事務所の中で重い身体をドッタンバッタン。下から苦情が来そうである。

1983年2月1日

今日から2月だというのに信じられない程の暖かさ。例年なら一杯着込んでダルマみたいになっているのに、今日はセーターだけ。車に乗るとそれでも暑いくらいで、運転席の窓を全開にしてのドライブ。本当は仕事中なんだけど、こんな日は仕事なんて気分じゃ無いんだよね。でも、一週間後には、10年ぶりという寒気団が日本に押し寄せてくるそうだから、コワイなあ。

1983年2月6日

今年の風邪はなかなかしつこい。「うるさいからあっちへ行けっ」って言ってるのになかなか行ってくれない。絶対に熱は出ないと確信していた私も、ついに熱を出してしまった。37度8分。たいした熱じゃないと思うんだけど、普段熱なんか絶対に出ない私だから一気に重病人になってしまった。今日は日曜日でもあるからして、思い切って休んじゃおう。嬉しいな。ウ〜ンウ〜ンとうなされちゃったりなんかして…。玉子酒は出るし(これははっきり言ってまずかった)食事は運んできてくれるし、いい気分であります。内心ではもう一日熱が出てくれるといいなあと思っているんだけど、今は完全に平熱に戻ってしまっている。

1983年2月9日

というより10日。タモリのオールナイトニッポンを聞きながら事務所の窓を開けると白い物がチラチラ。アラ?アラ?でよく見ると雪。早速、懐中電灯で照らしてみると、裏の駐車場に積んである材木の上や、車の上がうっすらと白くなっている。何だか今夜は積もりそうだ。机に向かっても落ち着かず、窓を開けたり、閉めたり。先日車からチェーンを降ろしたばかりだけど、困ったもんだと思案している内に、雪はバタッと止んでしまった。なんたることだ。それでも帰りに車を見ると真っ白に積もっている。車の上の雪をかき集めて、小さな雪だるまを作って、玄関の入口に置いておいた。朝まで融けずに残っていたようだ。

1983年2月12日

最近の新聞の三面記事を見ると、やたらに心中事件が目に付く。どれも、男女の心中事件ではなく、一家心中である。負債、借金、妻の蒸発…理由はいろいろだけど、幼い子どもを道連れにするのだけは許せない。まったく無責任である。腹が立つ。殺された子どもに替わって言いたい。「なぜ生んだ」と…。

1983年2月13日

最近では「子どもは風の子」なんてことばは、めったに聞かれなくなった。それどころか、子ども達の遊んでいる姿をあまり見かけない。見かけるとしたら、たいてい学校帰りか塾帰り。あとはせいぜい、駄菓子屋の軒先で見かける程度である。昔は今頃の季節だと、たんぼの中を駆けずり回ったものである。木に登ったり、缶けり、押しくらまんじゅう、鬼ごっこと、遊びはいくらでもあった。いたずら好きの鼻たれ小僧があふれていた。今はいい子ぶりっ子ばかり。
1983年 Vol.37
1983年3月2日

毎年今頃になると78%の創刊当時を懐かしく思い出します。創刊号は二俣線を特集したのですが4ページを埋めるのにひと苦労。最初の予定は隔月だったんだけど「やっぱり毎月出そう」と編集長が勝手に決めてしまったんですね。内輪もめしたりしてそりゃもう大変でした。正直言って2〜3号で終わるだろうと思ってました。それが1年が過ぎ2年が過ぎついに4年目の春を迎えちゃったのです。信じられない気分です。当時の78%を読み返していると、様々な思い出や記憶が蘇ってきます。創刊号にこんな詩がありました。『その時、掛川の街は素顔を見せる!古いものや、新しいものがたくさん隠れています。この街をおしゃべりにするのも、無口にするのもあなた次第。思い切って街の中に飛び込んでみてください。人々はとても気さくで、やさしくあなたを迎えてくれるでしょう。ひとつひとつの小さな路地や街角に染みこんでいる歴史の匂い。暖かい人情に触れることができた時、きっとあなたも掛川の素顔が見えてくるはずです。あなたの住む街を、もっともっと知っていただくために、このタウン誌が誕生しました。』
「創刊号からずっと取ってあるよ」というお便りやお話しを聞くと、とってもうれしくなります。これからどうなるのか、先のことはわかりません。もしかしたら、来月号で廃刊になっているかもしれないし、10年先、20年先もずっと続いているかもしれない…。そんな事は誰にも予測はできないけれど、自分達の住む街が少しでも良くなってくれることを望みながら、小さな力を出し合って今日も頑張ってます。

198年3月10日

春ですねぇ。毎日眠くてやりきれません。「こんなに眠いのは私だけかなあ」と思っていたらみんな同じなんですね。安心しました。それにしても、掛川という街はのどかというか、進歩のない街というか、保守的な街というか、何も起こらない街なんですね。記事に事欠く毎日です。文化意識を高めようといろいろ活動されている人も少数ですけどいることはいるんですよね。ところが掛川の住民というのはなかなか賛同してこないのです。これでは文化も育つわけがない。若者よ!もっとしっかりして下さい。これからはあなた達の時代になるんですよ!

1983年3月15日

今日は原稿の締め切りが押し詰まって、仕方なく重い腰を上げてスナップ写真を撮りに行ったのです。何時も、締め切り間近にならないと腰を上げないんだから悪いくせですよね、まったく。だけど知らない人に声を掛けるのって、すっごく嫌なんです。私って内気だから…。まあ、それはいいとしても、春だから、陽気な風に誘われて街には若い女性が氾濫しているだろうと、大きな期待を抱いて出かけて行ったのです。今日は、きっとよりどりみどりだな、なんてね。所が、ところがですよ。またしても裏切られてしまったのです。歩けど歩けど若い女性は見当たらず…。目を皿のようにして探すんだけど、やっぱりいないんですねぇ。「居た、居た」と思ってそばに寄っていくと、おばさんか小学生。(今の小学生は体格がいいから区別がつかないんですね。)お店の中ならと思って覗いて歩くんだけど、やっぱり居ないんです。いつたい何処にかくれてるんですか?

1983年 Vol.38
1983年4月1日

信号待ちで車を止めると、前の車の人が背伸びをした。すると屋根の上から手がニヨキニヨキ出てきてビックリ!あれ、あれ、と思っていたら、助手席からも手がニョキニョキ。よ〜く考えたら、あれはサンルーフだったのですね。でも異様な光景でした。

1983年4月3日

たばこやのおばさんが言っていました。「この間ある議員が、新幹線を止めるには地元負担が60億だか70億円だかかかってくるだって。そいだけんが、市民が飲まず食わずで半年がまんすりゃあいいんだって言ってたけんが、半年間もがまんできるわけないじゃんねえ」名前を上げるために遮二無二大事業を成し遂げようとする政治家達。生活をおびやかされながらも、それを持ち上げる大部分の住民達。今度の選挙、考えてしまいます。

1983年4月4日

引っ越しの手伝いで東京へ行ってきたという人から草加せんべいのお土産を頂いた。おいしかったよ。だけどね、お砂糖のついているおせんべいをかじっていたら、毛がピッタリとくっついているではないですか。「ヤッター!」と思わず声がでてしまった。早速、その部分だけ、手紙を添えて送り返しました。後は残らず口の中。レターハウスに見つかったのが運のつき。どの程度の量になって返ってくるか楽しみだなあ。ウシシ…。まさか1枚だけではあるまい。

1983年4月8日

毎年、春になると必ず何人かの知り合いが、掛川の街を離れていく。東京、名古屋、九州と今年も何人かが離れていった。事務所に来ていた頃は「あっ、また来た、うるさいなぁ」なんて心のどこかで思っていても、いざ離れていくとなると淋しくてたまらない。でも、夏休みや冬休みに帰ってくると、必ず寄ってくれるから反面うれしさもある。生まれ育った土地を離れていった人達に、故郷の匂いを、いつまでも送り続けてあげたいという使命感に燃えているので、78%もなかなか廃刊にするわけにはいかない。私もヘタをするとおばさんと言われかねない年だけど、10代の精神年齢で頑張ります。今は、離れていった人達が、再び掛川の街に戻って来たとき、どんな風に掛川を変えてくれるのか楽しみでもある。みんな、掛川の街を忘れずに、必ず戻ってきてね。「さようなら」とは言わずに「いってらっしゃい」と言います。

1983年4月9日

車で走っていると、至る処で桜の花が目に付く。「花の命は短くて…」と言うけど、特に桜の花の命は短い。一雨ごとに花ビラを落としていく。一夜にして葉桜に化けてしまうこともある。あの、誇らしげに咲いている、満開の時の表情とは裏腹に、散っていく時のもの淋しさ…。余り好きじゃ無い。でも、たとえ一時にしろ、人々は花に酔い、充分目の保養をさせてもらうのだから有難い。咲いてる期間が短いからこそ、人々は「花見」などと、こぞって出かけていくのかもしれない。中には花より団子とばかりに酒に酔いしれてる御仁もかなりいるようだけど。

1983年4月10日

草加せんべいが届きました。一箱。すごいもうけたような気分で、みんなでニコニコしながら食べました。もらい物が倍になっちゃったんだから、こんないい事ないですよね。読者のみなさん、また差し入れお願いしま〜す。声を大にして叫んじゃったりなんかして…。ただし腐ったケーキはお断りします。
1983年 Vol.39
1983年4月25日

「危険な三角関係」というタイトルのポスターを見つけた。てっきりポルノ映画の題名だと思ってよくよく見たら、日本社会党と書いてあった。もちろん日・米・韓を指しているんですが、みなさんも三角関係にはくれぐれもご用心を…。

1983年5月6日

今日は、スターリンのライブを見てきた。会場は若者ばっかりで、すごい熱気!圧倒されてしまった。あのスターリンの格好や、音楽を聴いて陶酔している若者を、年配者が見たらきっと「今の若者は…」って言うだろう。私自身もそう思う。だけど、よく考えてみると、何時の時代でも「今の若者は…」ってことになる。その時代、その時代の背景が、いろんな流行を産みだす。「俺たちの時代にはそんなにひどくなかった」って言うかもしれないけど、それでは筋が通らない。その時代には、やはり年配者の目から見て、顔をそむけたくなる様なことだったかもしれない。若者は常に新しい物を追いかけ、より過激なものを求める。ブレーキはきかない。でも、ある程度の年代になると「バカなことをやっていたな」って気がつくのです。そして、そう言う年代になった時やっぱり「今の若者は…」って言うだろう。自分も若い人達と同じ様な気持ちになることは難しいけど、でも、それを理解してあげられるようにはなりたいと思う。たしかに、スターリンのライブを聞いても、あんなの音楽じゃ無いと思っちゃうし、途中で頭が痛くなっていやいやしてきたけど、自分達も若い頃は、グループサウンズに酔ってゴーゴーを踊り狂っていた。すべて同じ理屈である。他にエネルギーの発散させる場所が無いのである。どんなにツッパッていても、まだまだ心の中はきれいです、ホドホドに理解してあげてほしいものです。

1983年5月7日

今日は、風の旅団のテント公演を見てきた。掛川でのテント公演は初めてだと言う。私自身も見るのは初めて。チャンスも無かったし、また、あまり興味も無かった。でも、最近は78%を発行しているおかげで、いろんなものと接することができるようになって、楽しくてしかたがない。(青春を取り戻したような気分です。)しかし、その反面、掛川の文化意識の低さも目立つようになってきた。自分自身も今まで低かったから、人のことを批判できるような立場ではないけれど、やっぱり、いい悪いは別にして、いろんなことを体験し、いろんなものに目を向けることも大切だと思う。主婦の方も、毎日パチンコに明け暮れている方も、もっと違う物に目を向けてほしい。年に一度でもいいんです。今まで見えなかったものがよく見えるようになるし、物の考え方や生活の幅がぐっと広がってきます。今回も「見たこと無い」という人を何人か強引に誘って見てもらった。半数以上の人は「ものすごい感動した」と言い、中には二日間連続で見に行った人もいるし、次の公演地の浜松までわざわざ見に行った人も何人かいる。これからも、いろんなものに積極的に参加していこうと思う。

1983年5月14日

最近お便りが少しすくなくなったようです。以前は掲載しきれない位多いときもあったのに…。お茶で忙しいのかな?あと2、3枚ほしい!78%の裏面に付いているハガキなら切手を貼らずに、書いてポストに入れるだけ。ジャンジャン出すべし。匿名希望でもOK。ただし、個人的な攻撃(ひどいもの)やドギツイものは、こちらの判断で掲載しないこともあります。情報もドンドン送って下さい。実は、情報がホ〜ント少ないんです。