掛川タウン誌
78%KAKEGAWAの発行人のやなせかずこが取材や仕事を通じて思うがままに書き綴った日記。
1982年 Vol.32
1982年9月22日

市制始まって以来という台風18号は「祭り好き」という掛川っ子達に大ショックを与えたようだ。今や街中は祭りと水害の話で持ちきり。祭りが来なけりゃ一年が終わらないらしい。祭りに馴染みの薄い私には、どうもその辺の心境はよくわからないが、生まれた時から祭りに接してきた人達には、盆や正月より楽しみらしい。やっぱりそういう楽しみを奪うのは酷なような気がするし、水害の被害を受けた人にとっては祭りどころではないだろうから、反対する気持ちもよくわかる。「やなせさんどう思う?」なんて聞かれても答えようが無い。しかし、前々から11月号の特集は「祭り」と計画を練っていたので、中止になるとしたら困ったものである。

1982年9月30日

ある人が「隣に座った男性が、おならを出したと思ったら、すぐその後で、靴の底でその辺をこすりながらいろいろな音を出して誤魔化していたけど、あんなことしてもミエミエで滑稽だ」と言っていたが、こういうことって誰でも経験のあることじゃないのかな?よく、小学生や中学生の頃「屁は言い出しっぺ」なんて言って、最初に言い出した人が疑われたものだ。鼻のいい私はよく疑われた。とくに頭にくるのは、当の本人まで一緒になって「お前だ、お前だ」と冷やかしてくることである。だからできるだけ2番目くらいから騒ぎ出すことにした。

1982年10月4日

いまや就職戦線たけなわである。来年就職を希望する人達にとってはたいへんな時期でもあるし、今年は特に厳しい年のようである。ある高校生は「頭のいいやつから順番に振り落とされている」と言っているが、自分の希望する職種はなかなか望めそうもない。昨年の今頃は、新聞の折り込みチラシにしても、求人のチラシがやたら目に付いたものであるが、今年はめっきり少なくなった。こんな不景気な世の中になると、企業は逆に人を減らすことを考えるから始末が悪い。忙しいときにはどんどん人を募集して、不景気になると手のひらを返したように転勤を命じたりして、自主的に退社させるように仕向けていく。俗に言われている肩たたきや窓際族も増えていくのである。サラリーマンの宿命と、諦めてばかりもいられない。一家の柱が失業してしまったら、家族の崩壊にもつながりかねない。不景気の波が押し寄せる度に不安に落とし入れられるサラリーマンや中小企業主。何とかなりませんかねぇ。

1982年10月9日

もめにもめた大祭も、いよいよ今日から…。初日ということもあって、何かいまひとつ乗りきれない様である。明日、明後日に期待しよう。

1982年10月11日

今日は大祭の最終日である。見物客も多く、最終日ということもあって身動きできない程である。人垣をかき分けて行くと、露天でおもしろいおもちゃを発見!ゴムのような材質で出来たタコである。触るとネバネバして気持ち悪い。しかし、壁や戸に投げつけると足がゴニョゴニョ動き出して、吸い付く感じで下に降りてくるんです。おもしろいので、つい年甲斐も無く買ってしまいました。家に持ち帰って早速犬も一緒に呼んで反応をみていたら、普段、ムカデやクモを平気で捕まえる犬が逃げ出してしまった。得体の知れないものは気持ちが悪いのだろう。
掛川大祭の最終日は盛大に盛り上がり、どこも人で大混雑。
1982年 Vol.33
1982年10月29日

アメリカ音楽界の最大のスターと言われている盲目のスティービーワンダーのコンサートが名古屋でも開かれた。息抜きと見聞を広げるため重い腰を上げて行ってきたが、会場は超満員。自由席のため舞台の横から見る羽目になった。近くていいところなんだけど、これでは後ろ姿しか見られないと全員ブツブツ。でも半分ぐらいは横向いて歌ってくれたので、もう感激!自由席もなかなかいいものだ。とにかく素晴らしいコンサートであった。まっ、それはそれでいいんだけど、帰りにK君がたこ焼きを買ってきてくれたので、お腹がすいているせいもあって全員が取り合いで食べた。しかし、食べども食べどもタコは入っておらず。すると、突然Sさんが「何っこれっ!」と、出して見せたのがカリカリになったご飯粒。続いてI君が「ようやくタコにありついたと思って喜んで噛んでいたら、なんだこりゃ。ゴムじゃないか!」と輪ゴムを見せてくれた。私はすぐに食べるのをやめた。タモリが名古屋人を悪く言う理由がわかるような気がする。ヘタに言って行けば「とりょうこといやあ〜すな」って誤魔化されそうだ。帰りにふっと後ろを見たら、輪ゴムが8の字を書いて転がっていた。「これが本当のタコの八チャンだ!」

1982年11月5日

よく、ファッション情報を載せてほしいというお便りや、カラーページを作ったらという投書をもらいます。ご忠告やご意見本当にありがとう御座います。だけど、ここでちょっと考えていただきたいことは、タウン誌にファッション情報はあまり必要ないと思うんです。仮に載せても、きっとつまらないものになると思いますよ。今の時代にはカラーグラビアの素晴らしいファッション雑誌が数え切れない程出ているから、白黒で載せたって面白くもなんともないと思うんです。モデルさんがいるわけでもないしね。とても78%では太刀打ちできそうもありません。そんなわけで、78%はひたすら超ローカル雑誌として、他の雑誌には掲載されてないような記事だけを載っけていきたいと思います。所詮、タウン誌という物はローカル誌であって、他の街の人が見てもさほど感動は受けない雑誌なんです。だけど、ローカル誌は地元の人が読めば、う〜んと親しみがあって楽しいものなんですね。そんな良さを楽しみにみんなが読んでくれているんだという自己満足も私たちは持っています。「隣のおばあちゃんが載っているよ!」「掛川でもこんなことやっているのか}と言ったような、そんな親しみのある雑誌にしていきたいんです。もちろん、カラーグラビアのページが作れたら最高だと思うし、私たちの夢でもあるわけです。毎月赤字で発行しているタウン誌に、これ以上足が出ると即廃刊になりそうだから、ひたすら白黒のページにしがみついているわけです。みんなが利用できる。掛川唯一の雑誌でもあるわけだから、「せこい雑誌だ!」などと思わずに〔思ってない?それならよろしい)その辺をゆ〜く理解してほしいのです。

1982年11月15日

ひとつき20円で〔今はもっと高いね、きっと…)くらせるものはな〜んだ?答えはトコロテン。「一突き20円」なんちゃって…。オモシロクない?すみません。実は今日書くこと無いんですよ。(一文字でも多くする工夫ってたいへんなんです。ひらがなを多くしたりして…)とにかく、今年もいろりおありがとうございました。あっ、夜食のぞう煮が煮えすぎちゃったので失礼。一足お先にお正月で〜す。みなさん、良いお年を。

1983年 Vol.34
1982年11月27日

朝の4時30分頃、自宅へ帰るために車に乗るとフロントガラスにしっかりと霜が降りていた。初霜である。これからもっともっと寒くなっていく。外で仕事をしている人達にとっては辛い季節になるんですね。車で帰れるんだからガマンしなくっちゃ。と思うことは思うんですが、やっぱり寒さは身に応えます。

1982年12月1日

市役所の公報室に行くとOさんが「どうだ。元気にやってるかね?」と声を掛けてくれた。「先日、静岡新聞の人が取材に来てくれたけど、Oさんが話してくれたんですか?」と尋ねたら「ああ…、こう言っちゃぁなんだけど、78%もいつ廃刊になるかわからんで、元気でやっている内に取材しといた方がいいと思ってね」ときた。冗談とわかりつつも、私の心は深く傷つき(でもないかな?)その後は編集人一同キズをなめつつ、傷心の日々を送っている。

1982年12月12日

最近、小学生を狙う痴漢がそこここに出没しているようで物騒ですね。私も最近はほとんど狙われることもなくなりましたが、(どうも痴漢が逃げているようで)昔はよく狙われたものです。ところで、同一人物とおぼしき男性が喫茶店にもやってくるのだそうです。ブラジャーなどつけて…。頭の構造がどこかおかしいんですよね。考えてみれば、そうなってしまった男の人も可哀想な人間のような気もします。変な同情心も湧いてくるのですが、でもやっぱり、何もわからない小学生を狙う不届きな奴。大きな事件に発展する前に警察ももっと力を入れてほしいですね。決して巧妙な手口で行われているわけではありません。7月頃から、白昼堂々と行われて居るんだから、何とかなりそうなものだと思いますけど…。警察の努力が足りないんじゃないですか?…。

1982年12月16日

今年もあとわずかを残すのみとなりました。街も徐々に師走の風が吹きつつあるようだけど、やっぱり例年に比べて今ひとつパッとしない。不景気風の方が強すぎるようです。不景気になるとどういうわけか、おまわりさんも暇になるのだそうですよ。飲食店が暇になると、酔っ払いも少なくなり、ケンカ等の小さな事件もめっきり少なくなるからなんだそうです。ケンカや酔っ払いが景気のバロメーターだなんて、皮肉なもんですなあ。

1982年12月17日

9月の台風18号の時、事務所の横を流れる神代地川が氾濫し、町内が水浸しになった。そのためかどうか、早速、1億円だか1億5千万円(どちらか忘れた)を投資して一部ではあるが川幅を広げるための工事が進められつつある。裏の広い駐車場には大きなクレーン車や機械が入り込んできた。この辺りは地盤がゆるいのか、ボーリングし打ち付けする度に事務所が傾きそうになる位揺れる。(ちょっとオーバーな表現かな?)今まで本当に静かだったのに…。でも、水害を防ぐための工事でもあるわけだからあきらめるとしよう。しかし、それにしても文明のちからってすごいもんですね。昔だったら相当数の人間が必要だったろうに、今ではほんの数人で片付けちゃうんだから。文明もこういう発展の仕方なら大いに賛成。
川幅拡張工事のため事務所裏の駐車場にクレーンが入ってきた
1983年 Vol.35
1982年12月28日

暮れも押し詰まって何となく周りが慌ただしい。ところで、今年もまた例の24時間チャリティというのが行われた。芸能人というエサで善意のお金を集めるわけだけど、果たして本当にいいことなのかどうか最近疑問に感じてしまう。目の不自由な人や身体に障害を持っている人、苦しい生活の中から募金に協力している人、さまざまな人達が協力しているわけだけど、本来、福祉は国でやるべきものである。ラジオでも言っていたけど、大きな車に乗ってお金のありそうな人達は、お願いしても知らん顔して通り過ぎていくということであった。そして、国は今年の予算の中から1.4%もの軍事費を増大するという。殺人を犯すための凶器を購入するためにである。日本は二度と戦争をしないと憲法で定めてあるのに…。殺人を幇助するために、苦しい生活費の中から税金を納めているのでは無い。ラジオやテレビの媒体は大きい。ましてや芸能人が出て来ればなおさら大きなものになる。彼等はチャリティに力を注ぐよりも軍事費を減らして(というよりも平和な社会を望むなら軍事費は必要ない)福祉に力を注ぐように運動してもらいたいものだ。かく言う私も若かりしころに、愛知県のある施設に小額ではあるが毎月お金を送っていたことがある。でも、たかだか私たちの送るお金ではどうにもならないことを知った。先日も町内で一口いくらでもいいから入れてほしいと、一軒一軒に封筒が配られ、何日頃受け取りに来ると言われた。半ば強制的な感じである。たかが百円か二百円のことではあるが、いやな気分である。善意の募金などと言われれば出さなければいけないような感覚を受けてしまう。せっかくのお金、もっと発展性のあることに使いたいものだ。

1982年12月30日

仕事柄、他所の年賀状ばかりやっていて、じぶんちの年賀状はつい後回し。どうしようか、どうしようかと迷っている内に28日になってしまった。本当に、こんなめんどくさい物はヤメてしまえばいいのに、と思いつつ、年に一度のことだからと思い切って出すことに決めた。一日半の猛スピードで出来上がった次第である。タイプを打っている祐子さんは「猪がブタに見える」と言いのけた。せめて猪豚(イノブタ)位に言ってあげればいいのに…。イラストを描いた康子さん、めげずに来年も頑張って!

1983年1月5日

今日は仕事始め。なんと一年ぶりの休みで、浮かれたせいか頭がボケ〜ッとして仕事がうまくはかどらない。今月の編集大丈夫かなぁ、不安がいっぱい。さて、せっかくの正月連休だからと、カメラ片手に撮影旅行。これも一応仕事半分なんです。大変なんすから。2日の夕方4時に出発して9時には石川県の金沢近辺に着いてしまった。スピード時代とはいえ、おったまげたものだ。北陸の冬はみんな警戒しているせいか、道路もスムーズに流れているというか、空き空きの状態。今年は暖冬のためも山手に少〜し積もっているだけ。仕事半分とはいえ、温泉に入っていい気分!全くいいお正月だった。だけど、翌日3日の日には仕事のことがチラッと浮かび、4日の日にはドバ〜ッと頭に浮かんできて、何だかユーウツな帰路と相成りました。それにしても、北陸には振り袖姿の娘さんを一人も見かけなかったのはどういうこと?お正月気分が味わえませんね。