柔道倶楽部「錬誠館」
Vol.61 1985.4月号掲載 
見直されつつある武道

 
女子プロレスの第一の黄金時代はマッハ文朱が出てきた昭和49年頃で、第二の黄金時代は昭和53年に出てきたジャッキー佐藤とマキ上田のビューティペアの時代である。当時はプロレスラー志望のハイティーンの女の子が年間数千人に登っていた。女子プロレスとは全く関係ないが、柔道の世界にもやはり流行廃れがあるようで、掛川唯一の柔道倶楽部「錬誠館」も、昭和45年頃にはかなり柔道人口が減少したという。

 しかし、最近になって柔道に限らず「日本武道」そのものが見直されつつあり、空手、少林寺拳法、剣道などと共に、柔道人口も増えている。これは多分にテレビの影響が強いという。位イメージで放送されれば入部してくる人も少なく、明るいカッコイイイメージなら途端に人が集まってくると言う。マスコミの影響力は恐ろしいくらいだ。とは言うものの、柔道のように昔から伝わってきている武道に関しては、多少の影響力はあるにしても、カッコ良さだけで集まってくるわけだはないので、地味だけれども息は長い。

歴史の重みを感じさせてくれる稽古場

 
掛川柔道倶楽部が昭和24年から稽古場として利用している竹の丸は、昔は剣道場だったというだけあって、いまだに道場という雰囲気をそのまま残していて、この部屋には柔道着がよく似合っている。42畳もあるという畳敷きの道場は、冬はとても寒い。しかし、稽古をしている部員の顔からは絶えず朝が流れている。

 さて、掛川柔道倶楽部「錬誠館」は「尚武館」という名称で昭和4年から活動を開始している。当時は、中町にあった掛川警察署の道場を借りて練習を行っていたが、第二次世界大戦後に一度閉館している。敗戦の混乱の中で活動どころではなくなってしまったのだろう。その後昭和24年4月10日より再び開館して現在に至っている。

 現在、会員は400名に達し、掛川の柔道の発展、地域(1市5町)の柔道の発展を願い、年々新しい世代に受け継がれてきている。(実際に稽古に励んでいるのは子供から大人までの35名)

体力と精神力を鍛える

 
柔道をやることによって体力と礼儀が身につき、精神的にも強くなると言う。だから、今のひ弱な子ども達にとっては格好なスポーツといえる。たとえば、学校で友達にいじめられても、体力的に自信があれば意外にも平気なものである。しかも柔道の道に反するため、いじめる側に回ることもない。柔道はあくまでも保身用だということを教え込まれる。

 初めは転んでも怪我をしないように機敏さを主体に、その後は徐々に試合で相手に勝つことを目標に稽古に励む。それと同時に礼儀を教えられる。年齢、性別も問わない。しかも、会員以外の人でも自由に出入りできる様に門戸を開放してくれている。興味のある方はぜひ立ち寄ってみてください。

一年中で最も活気づく春

 
寒い冬は部員の出席率は悪い。しかし、毎年4月になれば「柔道祭」が行われるために3月下旬頃からようやく活気を取り戻す。ところが、中村さんの弁によると「寒い時期も少ないんですが、夏は夏で暑いからと来ない人もいるし、秋は秋で掛川人はお祭りがすきでしょ。祭りの準備で忙しいと、集まりが悪いし、本当に部員が集まるのが春なんですよ。スポーツ祭の予選は9月にあるですが、ちょうど祭りの時期に当たるので困ります。」と、頭を抱えている。掛川の祭りはこんな所にも影響を及ぼしているようです。これでは、春になると活気を取り戻すのではなく、春だけが正常と言える。

◆渡辺富士松師範(館長)
◆稽古日:原則として日曜・祝祭日以外の日。子供は火・木・土(その他の曜日でも可)
◆時間:原則として午後7時より子供は午後9時まで、大人は午後9時30分まで