掛川エスペラント会
Vol.50 1984.5月号掲載 
写真上左から:石川一也さん・石川さんの奥さん・山崎知佐子さん・鈴木祥平さん
写真下は世界各国のエスペラント語で出版されている小説や月刊誌
英語よりやさしいエスペラント語

 
エスペラント語は、今から約100年前にポーランドのザメンホフ博士によって作られた言葉である。当時ポーランドはロシアの配下で、ロシア語、ポーランド語、ユダヤ語、ドイツ語が入り交じっていた。ザメンホフ博士はユダヤ人として迫害を受けていたために「世界中が平和にならなければいけない。そのためには言葉を一つにする必要がある。」と考え、下層階級の人々や一般大衆が話せる言葉として簡単に覚えられるように、やさしく作られたのがエスペラント語である。

 今、世界中で一番使われている言葉は英語である。しかし、発音が難しいので中・高校で6年間勉強してもなかなか喋れるようにならない。ところがエスペラント語なら、発音が日本語と同じ母音(アイウエオ)から成り立っているため、ローマ字が読めれば一時間ぐらいで読めるようになるとのこと。あとは単語の意味を覚えるだけで良い。辞書の中には発音記号もアクセントも載っていない。

言葉は時として危険視される

 
エスペラント語は、日本でも大正時代に一時ブームになったことがあって、その後もプロレタリアの人達の間で流行ったりしたが、警察の外国語取り締まりの時に、英語と共に禁止された時期があった。その時、特にエスペラント語は左翼の言葉としてやり玉に挙がったため、ラジオ講座もあったが、当然放送が出来なくなり、急激にエスペラント人口が減ってしまった。

 このように、言葉というのは、時代時代によって危険な言葉として扱われる可能性を持っている。第二次世界大戦の時には、敵国の言葉として英語が危険視されたし、どこの国に行ってもそういうことはあり得る。もちろん、エスペラント語は世界中の言葉として使うのではなく、それぞれの国の言葉を大事にしながら、他民族(外国人)と話をするときに使うのを目的としている。だから、エスペラント語は、英語に替わる世界の共通語(橋渡し)の言葉として根をおろす時代がやってくるかもしれない。

エスペラントの輪が広がれば

 
さて、エスペラント語を話せる人は現在1万人に1人と言われている。掛川には現在7人の人達が勉強しているが、実際にはもう少し多いようだ。世界的にも話せる人は少ないが、必ず各町に何人かはいるので外国へ旅行するときなどとても便利である。日本エスペラント学会に入会すれば、世界各国の人々と文通したり連絡がとれる仕組みになっている。

 掛川エスペラント会の会長の石川さんは25カ国の人々と文通をし、最近3週間の日程でヨーロッパの国々の5カ国を回ってきた。発音が同じだからどこの国に行っても十分通用するし、第一費用がぐっと安く上がる。それは、会員の所を泊まり歩くので宿泊費がタダになるからだ。もちろん、外国から石川さんの家に泊まりに来ることもある。

 最近では、若い人達のエスペラント人口が増えつつあり、徐々に世代交代をしている。そして、アマチュア無線家の間でもエスペラント語が徐々に広まって来ていて、世界中の人々と交信をしている。また、日本エスペラント大会が毎年ゴールデンウィークに、焼津の海の家か青年の家で合宿が行われ、老若男女が全国から集まってくる。掛川エスペラント会でも毎週土曜日に勉強会を開いています。

◆石川一也さん(会長・七日町)
 石川さんはもう25年もエスペラント語をやっているベテラン。人に教えてもらったのは10日間くらいで、後は独学で勉強したそうです。「僕なんか英語が出来なくて、その反動でエスペラントを勉強したんだけど、エスペラントを勉強している内に、英語にも興味が出てきました。学校の教師をやっていて感じることは、義務教育で最初にエスペラントを勉強して、その後で英語をやったら、もっと楽しく勉強できると思いますよ。これからもっと輪を広げて行きたいと思っていますが、本当に勉強したいと思っている人が集まってくれるといいですね。」

◆鈴木祥平さん(水垂)
 鈴木さんが高校2年の頃、平凡社が子供百科事典を作るとき、エスペラント語を使って世界各国から資料を集めようと企画したことがあった。「風の中の子供」というタイトルでスイスへ手紙を出して資料を集めた。その資料を見てスイスへ手紙を出したら、向こうの子ども達から手紙がドット来て「読めないのはしゃくだ」とばかりに、他の勉強はそっちのけでエスペラント語の勉強をし、それから世界の人々との文通が始まった。今までに60カ国くらいの人と文通をしたそうです。

◆石川さんの奥さん(七日町)
 ご主人がエスペラントで安く外国に行ってきたので、ご自身もぜひ行ってみたくて勉強を始めたそうですが、時々英語とごちゃ混ぜになって苦労するそうです。

◆山崎知佐子さん(葛川)
 教師になったばかりの頃、石川先生と同じ職場になり、1年後くらいに初めてエスペラント語の存在を知った。その後少しずつ興味が涌いてきて、習い始めて、今では毎年行われる日本エスペラント大会に参加しています。

◆笹間敏明さん(各和)
 笹間さんは3年間アルバイトをして貯金したお金で、大学2年の時5ヶ月間という長期間のヨーロッパ旅行に行った。勿論エスペラントをやっている人の家を泊まり歩いた。帰港後、お金が余っていたため、翌年には3ヶ月の長期旅行に出かけて行ったそうです。

◆永田俊介さん(十王)◆内山勝規さん(城北町)◆甲賀仙次郎さん(下垂木)