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20年後の角ログ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最初の丸太小屋
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今ではその気になりさえすれば、地域を限定せずに生活や仕事ができる環境が整っている。特にSOHOにとって、宅配便や通信手段などが整備されその点では便利な時代になった。物質的、経済的な面からいえばココよりも街の方が随分と優っていることは誰もが認める事実。しかし、その不便さをもってしても替え難い何かがそこにはきっとあるはずだ。丸太小屋で生活したい、自然と身近に生活したい、それ以外にもきっと何かが…1986年の夏。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
別荘地内だがまだ周りに家はほとんど無い植林された唐松と白樺の林の一区画。
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原野無指定地区だから出来た素人の手作りの家
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敷地は八ヶ岳西麓の中央高原にあり約390坪、標高1420m 、主に白樺と唐松と赤松に囲まれた別荘地。時間も地縁もないので近くの原村のペンションに泊まった際にオーナーに相談をかけ、地目が原野で建築規制の少ない無指定地区だったこともあり購入を決意。次の日には木々の間から阿弥陀岳を望む日当たりの良い林の中にいた。そして頭の中ではログハウスの完成した姿を想像していた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
重い丸太を支え不同沈下を防ぐ布基礎。床や壁を作り断熱材を入れ、内装をすれば地下室が出来る。
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条件が良ければ地下室を作ろう
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中央高原と言うだけあって年間の平均気温が19度、真冬には零下20度になることもあるという。ここの凍結深度は80cm。ログの重量も配慮し基礎は布基礎にした。緩い傾斜地だったので基礎も2.3mと高くなり、思いがけなく地下室もできた。内側に防水塗料を塗り、断熱をしたので、夏は平均12度、冬は平均4度。ちょつとした冷蔵庫状態。当初は暗室として使用し、次第に食料庫と資料室兼物置になり非常に重宝した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太さ30〜35cm長さ4〜5mの北米産ダグラスファー。太鼓挽きだから積み重ねて保管が出来る。
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厳寒地の基礎は地元業者に春に頼むのがベスト
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地元業者に頼んだ基礎も1986年6月に完成、7月に材料のログが搬入された。夏の間にログシェルを、雪の降る前に屋根を掛けるスケジュール。他にも根太や梁、2×4スタッド、コンパネ、金物類やスパイク、垂木、屋根材、内装材、建具等々、進行状況に応てじ3回に分けて搬入された。まだ納まるところに納まっていない家一軒分の材料に圧倒される。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シルログにアンカーボルトの穴と床根太受け加工をする。墨出し作業とノミとノコの世界だ。
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アメリカンバットメソッドの明快さは時間がない人におすすめ
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