最初の丸太小屋
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最初の丸太小屋
今ではその気になりさえすれば、地域を限定せずに生活や仕事ができる環境が整っている。特にSOHOにとって、宅配便や通信手段などが整備されその点では便利な時代になった。物質的、経済的な面からいえばココよりも街の方が随分と優っていることは誰もが認める事実。しかし、その不便さをもってしても替え難い何かがそこにはきっとあるはずだ。丸太小屋で生活したい、自然と身近に生活したい、それ以外にもきっと何かが…1986年の夏。
別荘地内だがまだ周りに家はほとんど無い植林された唐松と白樺の林の一区画。
原野無指定地区だから出来た素人の手作りの家
敷地は八ヶ岳西麓の中央高原にあり約390坪、標高1420m 、主に白樺と唐松と赤松に囲まれた別荘地。時間も地縁もないので近くの原村のペンションに泊まった際にオーナーに相談をかけ、地目が原野で建築規制の少ない無指定地区だったこともあり購入を決意。次の日には木々の間から阿弥陀岳を望む日当たりの良い林の中にいた。そして頭の中ではログハウスの完成した姿を想像していた。
重い丸太を支え不同沈下を防ぐ布基礎。床や壁を作り断熱材を入れ、内装をすれば地下室が出来る。
条件が良ければ地下室を作ろう
中央高原と言うだけあって年間の平均気温が19度、真冬には零下20度になることもあるという。ここの凍結深度は80cm。ログの重量も配慮し基礎は布基礎にした。緩い傾斜地だったので基礎も2.3mと高くなり、思いがけなく地下室もできた。内側に防水塗料を塗り、断熱をしたので、夏は平均12度、冬は平均4度。ちょつとした冷蔵庫状態。当初は暗室として使用し、次第に食料庫と資料室兼物置になり非常に重宝した
太さ30〜35cm長さ4〜5mの北米産ダグラスファー。太鼓挽きだから積み重ねて保管が出来る。
厳寒地の基礎は地元業者に春に頼むのがベスト
地元業者に頼んだ基礎も1986年6月に完成、7月に材料のログが搬入された。夏の間にログシェルを、雪の降る前に屋根を掛けるスケジュール。他にも根太や梁、2×4スタッド、コンパネ、金物類やスパイク、垂木、屋根材、内装材、建具等々、進行状況に応てじ3回に分けて搬入された。まだ納まるところに納まっていない家一軒分の材料に圧倒される。
シルログにアンカーボルトの穴と床根太受け加工をする。墨出し作業とノミとノコの世界だ。
アメリカンバットメソッドの明快さは時間がない人におすすめ
何も知らずにスタートした家造り。当時持っていた工具と言えば、丸ノコや電気カンナ位であとは必要に応じて借りたり買い足していった。ログは北米産の間伐材である直径30〜35cmのダグラスファーだ。それを厚さ18cmの太鼓挽きにしたものに芯墨を打った後、ログ間にウエザーシールテープを二列に挟み込んで積み上げていき、後は30cmのスパイクを打って固定していく。垂直さえ間違えなければ体力はいるが早くて容易で単純な作業。
この部分にV字形にカットしたログの先端を差し込む。
夏休み!多くの仲間にありがとう!
1本の重さが70〜100キロ近いログ。最初は1〜2人でもなんとか組み上げることが出来る。しかし、腰から上に持ち上げるとなると時間も掛かり大変な作業だ。仲間に声を掛けたら、「それは面白そうだ。」と言って旅行気分(だと思う)で大勢で手伝いに来てくれた。中にはクレーン持参の従兄弟もいたり、鳶まがいの人や、プロの土建屋もいて大助かりだ。ちょうど夏休みだったので、隣の別荘に合宿していた小学生十数人も参加。数は力なり。ワイワイガヤガヤ、夏の休み中にログシェルが一気に組み上がってしまった。みんなありがとう。
四駆もいいけど色々運べるワンボックスのバンが重宝
静岡から4 時間。週末に作業する日々が続く。ワンボックスが威力を発揮。四間の梯子も楽々搭載。材料、工具から薪ストーブまで大体の物は運んだ。冬は雪が多いので無理名時もあり圧雪道路はアイスバーン状態なので注意が必要だ。他に重宝するのが仮設トイレと仮設の休憩所。3〜4人は寝ることが出来る。水道はメーター横から仮設の外水道を作ったので美味しく冷たい水が利用できた。

小屋組は2×4でロフト床に原寸で図面を書く
ログが組み上がって一番上のログにロフトの梁を入れるためログにかき込みをする。厚さ12cm巾30cmの床梁だ。これもクレーンで吊り上げはめ込む。その上に仮のステージをコンパネで作る。この床にに原寸でトラスの図面を書きそれに従って2×4材でトラスを3組制作し、クレーンで吊し定位置で固定する。太い棟木を架け、2×12の垂木、けらば垂木を載せて小屋組が完成。家らしくなった。
屋根が出来ればもう安心
南側と北側の一部にデッキを出し同じ様丸太の柱を立て垂木を載せる。垂木の上に野地ベニヤを張り、天窓を付けアスファルトルーフィングを貼れば雨対策は万全。もう雨の日でも作業小屋に居る必要はない。屋根材は手割りのウェスタンレッドシダー。ここのエリアで使われるのは多分初めての屋根材だ。一枚づつ天気の良い日にゆっくりやろう。
ロフト部分の外装はハーフログ
妻壁はハーフログという太鼓挽き丸太を半割にしたもの。2×4のスタッドにベニアを貼りその上に打ち付けていく。アンダーセンウィンドも取付け、外装はドア以外ほぼ終了。水道や電気も入り、後は屋根と内装を残すのみ。仕事が忙しいので作業は冬休みまでおあずけ。
周りを見ると唐松が黄金色に輝いている。足元にはきのこ?ぬるぬるしてナメコみたいだが、やたらと大きい。地元の人に聞いたらジコウボウだと言う。みそ汁や茹でておろし醤油で食べると最高だとのこと。探すとあるある、たちまち袋一杯に。早速試してみるとこれが美味!他にも、クリタケやシメジ、タマゴダケ、アミタケ等々様々なキノコがここには出るという。この日からキノコに取り憑かれてしまった。来年が楽しみだ。
屋根材はシダーシェイク
屋根材はウエスタンレッドシダーのシダーシェイク。厚さが20mm位で厚さにテーパーがかかり薄いところで5mm位になっている。長さは60cm幅はいろいろで25〜10cm位の乱尺。葺足を25cmにして貼っていった。ナタで割りながら幅を調整して並べて貼るので時間がかかる。釘はステンスクリューの45mmを使う。南の下から貼り進んでいき、北側の上まで貼り終えたところで雪が降り始めた。今年の雪は遅いそうだ。残る内装は冬休みにおこなうことにした。

翌年1987年冬から内装作業のスタート
待望の冬休みに内装作業がスタート。車も雪道を考え、FRのワンボックスから四駆にしたが、思ったほど雪は積もらなかった。電気照明工事、断熱材入れ、パネリング張り、浴槽、トイレ、キッチン、家具作り、間仕切り、ドア等々まだやらなければならない作業はたくさんある。とりあえず夏までには生活が出来る位まで完成させよう。こまかいところや残った作業は住みながらゆっくりやればいい。そう思うと気が楽になった。そして今年の秋には移住することに決めた。
やりながら覚えればいい!素人の手作りの家
水道、電気、ガス等の配管や配線は業者に頼む。できれば自分でやりたかったが地元のことを良く知っているプロの方が書類手続きが早いし作業も安心で正確だ。作業を見たり手伝ったりして技術を学ぶのも一つの手である。しかし厳寒地の水道工事だけははプロの手に委ねる事をお勧めする。(村の指定業者でないと水道工事も出来ないし許可も下りない)大工仕事は精度を追求しなければ何とかなるもので、失敗しながら覚えていく。今、ペンだこと金槌だこが同居している。
天窓は窓の少ないログハウスには必須アイテム
ロフトの寝室と吹き抜けの居間の2カ所に天窓がある。吹抜の天窓は四人がかりで取り付けた。天気の良い日中は照明のスィッチ入れることは滅多にない。ともかく明るい。夏は白樺の葉がそよ風に揺れ木漏れ日が部屋にさす。夜電気を消すと月明かりが眩しいぐらいだ。冬は流れ星がみられることもある。星を見ながら眠りにつくのは最高の気分。
予定変更で壁や天井は板張りに
設計段階ではプラスターボードで白のプラスター仕上げだった。内装下地が出来、その仕上がりを想像するが何か違和感がある。やはり板張りにしようと決めた。今では日焼けでパインの色は濃くなったがそれは家の歴史。無塗装なので雑巾がけをするだけで木の香りが生き返る。音の反響も少なく心もやけに落ち着く気がする。決断は正解だった。
意外と簡単だったレンガ積みと石張り
薪ストーブ周りと薪ボイラーのベースは赤レンガを積んだ。ベースはコンパネに防水紙を敷き、水を入れない空練りモルタルの上に十分水を含ませたレンガにを並べ目地を詰めていくだけ。積み上げるのもセメント:砂=1 :3 のやや硬めのモルタルで重ねていくだけだ。やってみるとなかなか面白い。風呂場も腰までの鉄平石張りにしてみた。和風の感じになったが温泉の風呂みたいで気に入っている。
搬入は大変だったが価値ある薪ボイラー
ボイラーはログ輸入業者にお願いしてモニター価格で入れた、スウェーデン製の650キロもあるマルチボイラーである。国産のものは5年位で釜がだめになるというが、これは今でも何ともない。薪作りはちょっと骨が折れる が、これ1台で風呂から台所、洗面など家中の給湯を全て賄っている。火の付きは良いし、余熱で焼き芋がで き、乾燥食や温薫製もできる。
燃えるものの全てが燃料になるEURONOM社製のヒーティングボイラー。ログに煙突の開口を作る。煙突はステンレス製シングル。
縮むログ対策のセトリングスペースは十分取ろう
窓やドアといった上部にはログの収縮のための空間(セトリングスペース)必ずを取ることになっている。室内の間仕切り壁も同様だ。今でこそ少ないと思うが、ログハウスブームの初期、施工業者がこの事を熟知していなかったため、実際この近所にも数件見られたが、開ない窓や開けにくくなったドア、塗り壁の破損やはく離、パネリングの隙間が開くなどのトラブルがあった。実際この家も10cm位は縮んだ。また、セトリングスペースに断熱材を多く入れるとかえってセトリングの妨げになる。煙突や2階の水回り設備には特に用心が必要だ。
住めるまでになり1987年9月移住
静岡の自宅はそのままで事務所を引き払い原村に移住した。家はまだ地下やいろいろなところが未完成だが、どうにか暮らせる状況にはなった。もう通わなくても暇なときに作る事が出来る。
家造りがはじまっていろいろなことを学び、発見した。長野に通うようになって、より一層自然を身近に感じるようになった。昼と夜が反転していた過去。ここに来てからは太陽とともに起きる生活。そんな当たり前のことが新鮮に感じる。仕事量は五分の一になったが、その分こころも体も軽くなった。自分の中で何かが変わった。
Data:床面積160.8平米(1階77.1平米・ロフト:57.3平米・地下:26.4平米)/工期:1986年7月〜1987年9月/工法:1階:太鼓挽ログ・2階ツーバイフォー/丸太材:ダグラスファー18cm×30〜35cm太鼓挽/屋根材:ウエスタンレッドシダーヘビーシダーシェイク/建具:アンダーセンウインド・ベルックス天窓ほか/基礎:布基礎/材料輸入元:ALC 0248-41-5273
※2001年にここの原村から富士見町に移転したためこのログハウスは他のオーナーの所有になっております。
みんなありがとう!
ここまで出来たのは皆様のおかげです。記念に登場していただきます。当時の写真が無い人たちも大勢いますがその方達も含めて、お手伝いいただいた方全員に深く感謝いたします。みんなありがとう!

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