江戸時代の文化10年に小笠地域に現在の医師会のような玄聖講がすでに存在していたという。医は仁術とも言われ、いまや人々にとって大切な役割を果たしているが医学の発達していない時代には天然痘やマラリア等の流行病で亡くなった人も大勢いた。今でこそ天然痘やマラリアで死亡する人はほとんどみられなくなったが、江戸時代、明治時代においては非常に恐ろしい病気であった。今月号では天然痘と闘った「小笠医師会」について歴史を探ってみた。
明治・大正・昭和と様々なものがめまぐるしく移り変わった時代において、医師の往診に使われた乗り物も時代につれ、駕籠から馬、人力車、オートバイや自動車と替わってきた。同時に医学の発達も著しく向上してきた。掛川や小笠地区でも戸塚静海や、吉岡弥生など、医学の向上に貢献した人たちも大勢いる。
日本の医療制度は、明治7年に政府が交付、医師の資格・治療等について規定したのにはじまった。明治39年になって初めて法律によって医事法が義務づけられ、医師の資格免許や診療その他の一切を規定し、医師会の設立を命じる等、医事衛生に関する法規が一応完備した。
掛川・小笠地区の医師会もそれを基礎にして現在の医師会になった。しかし、それ以前江戸時代の文化10年(1813年)に小笠郡や南榛原郡の医師が集まって全く自主的に創立した医師会とも言うべき「玄聖講」が存在していたことはあまり知られていない。 |
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