掛チョン(掛川チョンガー族)2ヶ月目の記
Vol.36 1983.3月号掲載
梅村 訓(医師)
 落葉の舞いちる停車場……ちと古臭いが、決してこんなロマンチックではない……すさましい木枯らしの吹きすさぶ駅で寂しく汽車を待っていた5年前……当時、私は、代務医師として、名古屋の大学病院から当時の市立病院に週1、2度派遣させられていた。

 掛川については、私は、この駅と、病院以外は全く知らなかった。1月から常勤医となり、掛チョン族の一人として気楽な、又、少々面倒な生活を始めた。今まで、仕事の関係で、あちこちの町をまわる機会が多く、その土地の特徴、人情に接する事が出来た。名古屋、四日市、豊田、多治見、ニューヨーク……この掛川も、ユニークな点がたくさん見出された。

 先ず商店について感じたこと。
 店に入っても、店主はあまりうれしそうな顔をしない。(始めは、小生の風体のせいかと思ったが、必ずしもそうではなかった。しかし、決して親切ではないというわけではない。)

 小売店では、定価を全く定価通りに売っている。(これが、本当の経済の原則というのか。)

 飲食店は夜の閉めるのが早い。(従って、やむなく遅く迄、いやいや?飲み屋でさわぐことはなくなる。)どんなおでん屋でも出されるお茶はうまい。

 町の中では、やたらと老人の姿が目立っている。(一体、ヤングギャルはどこへ行ったのであろうか。)交通信号機は多いが、人の流れは、これに従わない。レーサー並の勢いで、狭い道を通り抜ける車。

 病院では、信じられないような受傷機点の外傷患者さんが多い。例えば、高齢者(80才以上)のポンポン乗車事故、屋根からの転落事故、酒にからまる事故等々である。

 某夜、掛川城跡に登って町を眺めた。町並みの灯と、暗黒の茶畑が、モザイク状にならび、都会で見られるような、けばけばしいネオンは少ない。空気は澄み、空が美しい。何百年と、このお城のもとで、伝統を守り生きてきた誇り高き人々の姿を想像する事が出来た。

 この町のユニークさという点も全て、それに根ざしているのではないだろうか。私は、この時から、他に迎合する事なく、しっかりと腰をすえ、着実に歩み続けているこの町がすっかりと気に入った。その時、突然、町の中央部を、無遠慮に、轟音を立てて走り抜ける新幹線列車を見た。又、私は複雑な気持ちになってしまった。